「消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会」報告書に関する意見書(2025年10月31日)
2025年(令和7年)10月31日
内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全) 黄川田 仁 志 殿
消費者庁長官 堀 井 奈津子 殿
京都弁護士会
会長 池 上 哲 朗
「消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会」報告書に関する意見書
第1 意見の趣旨
1 従来の消費者法制度における「事業者と消費者の間にある情報・交渉力の格差を是正すれば、消費者は自由で合理的な意思決定が行える」という発想に加え、消費者は誰しも多様な脆弱性を有するとの前提を明確にすべきである。これに基づき、消費者契約(取引)法については、従来の取消権に限らず、解除権など多様な手当を検討し、アテンションエコノミーやダークパターンへの規律も含め、現行法の枠を超えた制度設計を行うことが必要である。
2 民事ルールの規範設定の在り方について、抽象的な規範を下位規範により具体化する手法自体には反対しないが、「抽象的規範は、下位規範による補充がなければ立法できない」状態に陥るべきではない。また、下位規範を活用するとしても、過度な下位規範委任やソフトロー依存を避け、上位規範において、包括的条項と具体的リストを併記するなど、実効性ある規範設定が必要である。
3 民事効に加えて、行政規制を導入する方向性自体は賛成であるが、行政規制導入には十分な予算・人員確保が必要である。また、民事ルールと行政規制を併用することにより、行政の執行が硬直化しないように留意すべきである。行政規制の下位規範についても、ソフトローに偏重することは避けるべきであり、悪質事業者への対応にはハードローを基本とすべきである。
第2 意見の理由
1 はじめに
2025年(令和7年)7月9日、内閣府消費者委員会は、内閣総理大臣からの諮問(消制度第319号)に対して、消費者法制度のパラダイムシフトに関する専門調査会が取りまとめた報告書(以下「本報告書」という。)を踏まえ、「消費者ならば誰しもが多様な脆弱性を有するという認識を消費者法制度の基礎に置き、既存の枠組みに捉われない抜本的かつ網羅的なルール設定に向けて、種々の規律手法を目的に応じ有効かつ適切に組み合わせて実効性の高い消費者法制度を整備すべく更なる具体的な検討を行うなど、必要な取組を進めることが適当である」と答申した。
本報告書は、超高齢化やデジタル化の進展等によって、従前の消費者法制度では必要な対応ができなくなってきていることを認めた上で、従前の消費者法制度が基礎としている、事業者との格差が是正されれば、消費者と事業者は対等となって、自由で合理的な意思決定を行えるという「強い個人」モデルから、消費者ならば誰しもが多様な脆弱性を有するという認識への転換が必要である指摘する。その上で、①消費者ならば誰しもが多様な脆弱性を有するという認識に基づく包括的な視野から消費者取引を規律する規範を確立すること、②種々の規律手法を適切に組み合わせること、③消費者が事業者に対し、情報、時間、「アテンション」を提供する取引についても消費者取引として視野に入れること等を提言する。
これら提言は、既存の消費者法制度が基本としてきた消費者モデルの限界を正面から認め、現代に必要な消費者法制度の視点を提示するもので、日本の消費者政策の転換点として非常に重要な意義を持つものであり、当会としても、その方向性については賛成する。
今後は、消費者庁において、上記答申を踏まえ、更に具体的な法制度の検討が速やかに開始されるものと思われるところ、その検討にあたって留意すべき点について意見を述べる。
2 「消費者の脆弱性」について(意見の趣旨1について)
(1)「消費者の脆弱性」を正面から認める必要性
消費者と事業者との間の情報の質・量及び交渉力格差の他に、「消費者の脆弱性」を正面から捉える必要があること(本報告書11頁)については賛成である。
すなわち、従前の消費者法制度においては、消費者と事業者との間には格差があることを前提に、その格差を埋めるための一定の手当をすれば、消費者は自由で合理的な意思決定が行えるという法的フィクションが前提となっていた。
しかしながら、本報告書が指摘するとおり、超高齢化やデジタル化の進展等の現代の消費者を取り巻く環境からすれば、このような法的フィクションはもはや妥当しないことを前提に、消費者と事業者との間には、どのような手当を尽くしても埋めがたいものがあり、それは格差ではなく消費者の脆弱性そのものであることを正面から認めた上で、今後の消費者法制度を構築する必要がある。
(2)「消費者の脆弱性」を法制度において認めることと消費者契約法の関係
民法は当事者が対等であることを前提にしているが、消費者と事業者との間には、交渉力及び情報の質・量に格差があるため、これを是正することによって当事者は対等となるという意味で、消費者契約法は民法の特別法と位置付けられてきた。
しかし、消費者契約法が、本報告書で記載されているように、事業者と消費者の格差の是正に加えて、「消費者の脆弱性」を正面から認めたうえで、行政規制及び刑事規制との最適な組合せにより実効性のある規律を構築していくのであれば、消費者取引法(本報告書は消費者「契約」に限定した議論をしていないので、以下では、現行の消費者契約法を含む消費者取引全般に妥当する法規範を「消費者取引法」という。)は、これまでの消費者契約法の枠組及び民法の特別法という位置付けから脱却していくということである。
例えば、これまで消費者契約法の法律効果に関する規定は、取消権と無効のみであった。その取消権は、民法と同様に意思表示に瑕疵のある場合の範疇でのみ議論されてきた。しかし、消費者の脆弱性を正面から捉えるならば、本報告書(38頁)でも述べられているように、意思表示の瑕疵に基づく「取消権」に縛られない契約からの解放手段も認められるべきである。具体的には、政策的な理由から消費者に付与される解除権や、パターナリスティックな消費者保護のための規定の創設を検討していくべきである。
また、2022年(令和4年)消費者契約法改正の前提となっている消費者庁「消費者契約に関する検討会」報告書では、消費者の判断力低下に着目した取消権や、消費者の心理状態に着目した取消権の提案がなされていたものの、法制化に至らなかった。その理由については、前者は、消費者と事業者の格差の問題ではないこと、後者は、誤認・困惑の範疇を超えること(すなわち、意思表示の瑕疵の問題とは言い難いこと)であったと考えられる。これらについては、事業者と消費者の格差に基づく民法の特別法としての既存の消費者契約法の枠組にとらわれずに、消費者取引法の具体的検討において再開されるべきである。
以上の他にも、本報告書(37頁以下)で指摘されているとおり、消費者取引法固有の損害賠償請求権の可能性や、消費者取引法が、「契約」の勧誘や契約条項だけに焦点を当てるのではなく、履行・継続・終了過程に関する規律をも取り入れていくことも検討されるべきである。
(3)デジタル取引について
消費者取引のデジタル化の進展については、報告書で述べられているとおりである。今後、消費者取引は、対面のものよりもインターネット上で行われるものが益々主流となっていくことは間違いない。
そのような状況にあって、現行の消費者法は、デジタル取引の特徴に必ずしも則したものではない。そこで、アテンションエコノミーや、ダークパターンの問題など、デジタル取引の特徴に即した立法的手当が必要である。
これについては、EUのデジタル市場法(DMA:Digital Markets Act)やデジタルサービス法(DSA:Digital Services Act)のように事業者に対する行政規制を中心とする対応方法と、デジタル取引の特徴に即した取消権等の民事的効果のある権利を消費者に付与する対応方法が考えられる。いずれにしても、法的効果の伴わないソフトローだけで対応することは適当ではない。
(4)「つけ込み型勧誘取消権」として議論されてきた取消権について
本報告書12頁脚注3では、「つけ込む」という言葉に過度に依拠して法制度の必要性を論じることには注意が必要であるとの指摘がある。この指摘内容自体には反対しない。
しかし、現実に生じている消費者被害には、事業者が「消費者の脆弱性」につけ込むことに、その問題性の本質がある悪質商法が存在する。従って、一定の悪質商法を念頭にして、消費者の脆弱性(とりわけ、事業者が作り出した又は事業者の行為とは関係なく消費者が置かれていた状況的脆弱性)につけ込む行為に対しては、例えば、クーリングオフのような撤回権といった契約関係からの解放と被害回復が簡易迅速に図られる法的規律が必要であり、その具体化に向けた検討がされる必要がある。
3 民事ルールの規範設定の在り方について(意見の趣旨2について)
(1)具体的規範を下位規範に委ねる手法の留意点
民事ルールの行為規範設定の在り方について、抽象的な規範を下位規範により具体化する手法が提案されている(本報告書40頁)ところ、そのような手法が適している場面もあることは否定しない。
しかし、そもそも、民事ルールが、紛争解決規範として有効に機能するためには、民事ルールは、裁判所による解釈の余地を残した抽象的な規範であるべきである。従って、今後、「抽象的規範は、下位規範による補充がなければ立法できない」という考え方に陥ってしまうことがあってはならない。
(2)下位規範としてソフトローを活用することの留意点
本報告書では、下位規範としてのソフトローの活用にも言及がある。これについても、これが適切な場面があることは否定しないが、原則的には抽象的規範を同レベルの法規範内で例示するなどして具体化するべきである
例えば、EU不公正取引方法指令では、不公正な取引方法を禁止する大きな一般条項、それをより具体化する小さな一般条項(誤認惹起的取引方法、攻撃的取引方法)、いかなる場合にも不公正とみなされる31の取引方法のリスト(ブラックリスト)が、それぞれ定められている 。このように、まずは小さな包括条項の整備とブラックリストの充実が必須であり、それをしないで安易に下位規範をソフトローに委任することは適切ではない。
また、上記「消費者契約に関する検討会」報告書においては、既存の困惑類型の取消権の脱法防止規定(受け皿規定)の提案がなされていた。これは、消費者契約法内で、抽象的規範と下位規範を両方とも定めようとする試みである。この提案は法制化に結びつかなかったものの、消費者契約法で、包括的規定と具体的なリストを併記する方向性は今後も検討されるべきである。
4 行政規制を取り入れることについて(意見の趣旨3について)
(1)本意見書の基本的立場
本報告書では、消費者取引を幅広く捉える規律の在り方として、事業者に対する行政規制を取り入れていくことが示されている。規律の実効性確保という意味で、民事効のみならず、行政規制を活用していくこと自体には賛成である。
しかしながら、行政規制の執行は、行政機関の判断によって行われるものであり、個別の消費者はそれを要請する立場にはない。また、執行がされたからといって、個別の被害回復に直結するわけではない。従って、個別の消費者被害を救済するという観点からは、民事効のある規定が不可欠であり、その必要性が後退することがあってはならない。
また、以下の点には留意が必要である。
(2)執行体制の問題
大前提として、行政規制を実効的に運用するためには、違反に対する執行が適切に行われる必要がある。本報告書では、「消費者法制度における民事ルールの中核を担っている」消費者契約法の土台からの見直しにも言及があるところ(本報告書36頁以下)、現在、同法には、事業者を対象とする行政規制は存在しないから、同法所管課(消費者庁消費者制度課)には、行政規制の執行機能はない。
消費者契約法という「消費者契約に適用される一般民事法」に、仮に行政規制を設けた場合、その適用対象は相当広範となることが予想される。従って、この執行のためには、相応の予算及び人員が確保されることは必須である。そのため、消費者行政の司令塔である消費者庁においては必要な予算及び人員の増強を図る必要があり、その増強が図られないことを理由に行政規制の規律の導入を断念することがあってはならない。
(3)規範設定の在り方
① 行政規制と民事ルールを併用する際の留意点
本報告書は、民事・行政・刑事法規定等の種々の規律手法を最適に組み合わせる観点が提示されている(本報告書31頁)。ここで、民事ルールと行政規制を組み合わせた最近の消費者保護のための法律として、「法人等による寄附の不当な勧誘の防止等に関する法律(令和4年法律第105号)」があり、本報告書も、同法の存在を一定程度念頭に置いていると思われる。
しかし、仮に同一要件の下に、民事ルールと行政規制を重ねて定めた場合に、行政処分を前提としていることから行政規制の運用が限定的になされてしまうと、本来柔軟性が認められるべき民事ルールの解釈にも悪影響が及びかねないことには留意すべきである。
また、行政の執行が柔軟に行われるためには、法規定においては抽象的な規範を定めるに留めることが必要である。
さらに、行政規制と民事ルールを併用する目的は、契約の締結前・履行中・離脱・被害回復等、消費者取引の全過程において、安心・安全を実効的に確保するためである。そのため、単に両ルールが併存するというだけではルールの担い手が複層化するという程度に留まるため、行政処分が行われた場合に使用された基礎資料を特定適格消費者団体に開示・提供する等、行政規制と民事ルールを有機的に結合させることが必要である。
② 下位規範の定め方の留意点
下位規範の定め方については、本報告書では、「政令等の行政立法のほか、ガイドライン・指針や(手続面での正当性・透明性が担保された)自主規制といったソフトローを活用することも考えられる。」(本報告書41頁)とされている。しかし、ガイドライン等については、強制力が認められないから、これに自ら従う意思のない事業者には、効果を持ち得ない。この意味で、ソフトローに過度に依存するべきではなく、悪質な事業者対策としては、ハードローが基本となるべきである。
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