「国旗の損壊等の処罰に関する法律」に反対し、廃止を求める意見書
2026年(令和8年)8月26日
内閣総理大臣 高 市 早 苗 殿
法務大臣 平 口 洋 殿
最高裁判所長官 今 崎 幸 彦 殿
検事総長 川 原 隆 司 殿
警察庁長官 楠 芳 伸 殿
衆議院議長 森 英 介 殿
参議院議長 関 口 昌 一 殿
京都弁護士会会長 谷 口 直 大
「国旗の損壊等の処罰に関する法律」に反対し、廃止を求める意見書
1 「国旗の損壊等の処罰に関する法律」(以下「本法律」という。)が、2026年(令和8年)7月17日、参議院で可決され、成立した。
本法律は、「国旗を大切に思う国民の感情」を保護するものとして制定され、「国旗及び国歌に関する法律(平成十一年法律第百二十七号)に定める国旗として用いられていると社会通念上認められる有体物」を、「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法により」、「公然と」「損壊し、除去し、又は汚損した者」を、二年以下の拘禁刑又は二十万円以下の罰金に処すると定められている。
本法律の制定過程において参考人として国会に出席した憲法学者は、本法律について、「憲法違反」との意見を述べている。また、2026年(令和8年)6月29日に刑事法学者(呼びかけ人11名、賛同人137名)の声明[1]、同年8月4日に憲法研究者(呼びかけ人14名、賛同人187名)の声明[2]が発出されているところ、いずれの声明においても本法律について看過することのできない重大な問題点が指摘されており、制定に反対するという結論となっている。
当会は、以下の理由により、本法律に反対し、廃止を求める。
2 本法律制定の必要性を根拠付ける立法事実が示されていないこと
まず、本法律には、その制定の必要性を根拠付ける立法事実が示されているとはいえない。立法事実とは、「当該法令の合理性を支える経験的事実」である[3]。本法律においては、国旗損壊罪が制定されていないために処罰することができず、不都合が生じた事例が立法事実にあたるといえる。
しかしながら、本法律の必要性に関し、政府は、「国旗を大切に思う気持ちは万国共通であると考えられますが、我が国では、G7で唯一、外国国旗の損壊等に関する罪の規定はあるものの、自国国旗の損壊等に関しては同様の規定がないという状況にあります。国内でも日本国旗を損壊する事例が確認され、また、近時のSNSの加速度的な普及やグローバル化の進展が見られる中で、そのような事案の発生を将来に向かって抑止する必要があることから、国旗を大切に思う国民感情を保護するため、日本国旗を損壊等する行為についての処罰規定を設ける本法案をとりまとめました。」と説明するのみであり、具体的にどのような事例において不都合を生じたのかは説明されていない。「外国国旗の損壊等に関する罪の規定はあるものの、自国国旗の損壊等に関しては同様の規定がない」との指摘については、法制度の均衡論を述べるものではあるが具体的な事実の指摘とは言えないし、「国旗を大切に思う国民感情を保護する」との指摘も、立法目的ないし保護法益の説明に過ぎず、事実の指摘ではない(これらの説明の問題点については後述する。)。
唯一立法事実的なものとして理解可能なものは、「国内でも日本国旗を損壊する事例が確認され」「将来に向かって抑止する必要がある」とする点であるが、具体的にどのように不都合が生じたのかは明らかにされていない。この点に関し、本法律の制定過程において、1987年(昭和62年)から2008年(平成20年)に起きた4つの事件が紹介されたが、これらはいずれも他人所有の国旗損壊事例であり器物損壊罪や暴行罪等で立件されたとのことであり、本法律がなければ処罰が不可能な事例であったとはいえない。本法律が従来の法制度の隙間を埋めることとなるのは、公共の危険を生じさせないで自己所有の国旗を損壊等する場合のように、従来、器物損壊罪や建造物等以外放火罪[4]での処罰ができなかった事例であるが、こうした行為をなぜ処罰しなければならないのかについて、十分な説明があるとは言えないし、公共の危険を生じさせないで自己所有の国旗を毀損する行為を処罰してまで、「国旗を大切に思う国民感情」を保護しなければならない経験的事実は全く示されていない。
したがって、本法律制定の必要性を根拠付ける立法事実が示されているとはいえない。必要性が認められない法律は廃止すべきである。
3 正当な保護法益ないし立法目的がないこと
次に、政府が説明する「外国国旗の損壊等に関する罪の規定はあるものの、自国国旗の損壊等に関しては同様の規定がないという状況」、「国旗を大切に思う国民感情を保護するため」については、正当な保護法益ないし立法目的の存在を主張するものと理解できるが、この点にも次のとおり問題がある。
(1)外国国章損壊罪との比較
まず、「外国国旗の損壊等に関する罪の規定はあるものの、自国国旗の損壊等に関しては同様の規定がないという状況」については、本法律の保護法益との違いを無視した議論であり、そもそも均衡論として成り立っていない。
すなわち、外国国章損壊罪(刑法第92条)は、1891年の「大津事件」[5]を契機とした外交的危機への対処を目的として作られた「国交に対する罪」であって、保護法益は、外国の国旗に対する外国国民の感情ではないとされている[6]。他方で、本法律の保護法益は、「国旗を大切に思う国民感情」とされており、両者は、その趣旨を異にしている。
したがって、外国国章損壊罪と比較することによって、本法律の必要性を論じるのは誤っている。
(2)「国旗を大切に思う国民の感情」
次に、政府が説明する「国旗を大切に思う国民の感情」については、一見すると、国民の思想信条を保護する目的で刑罰を科す理由としているようにも見える。確かに、個々人の「国旗を大切に思う国民の感情」は、憲法第19条の思想信条の自由の一環として保護されるべきものであり、一見すると、「人権相互の矛盾衝突」を調整するという正当な立法目的であるように見える。しかしながら、国旗を損壊等しても、第三者に一定の思想信条を強制することにはならず、国旗の損壊等が第三者の思想信条の自由を侵害するということにはならない。したがって、本法律を「人権相互の矛盾衝突」を調整するためのものと見ることは困難である。
そうだとすれば、本法律は、国旗の損壊等によって生じる「不快感」を処罰の根拠としているものと見るほかない。しかしながら、このような「不快感」を処罰の根拠とすることには問題がある。すなわち、国旗をめぐる感情は様々である。上述のとおり、国旗に対し悲憤的感情や否定的感情を抱く国民もいる一方で、「国旗を大切に思う感情」を抱く国民の中でも濃淡があり一様ではない。つまり、「国旗を大切に思う国民の感情」は、これを保護することについて大多数の国民のコンセンサスが得られているといえる程の保護法益となっているとは言えないものと考えられる。
したがって、「国旗を大切に思う国民の感情」は、憲法で保障されている国民の権利を制約する正当な理由になり得ない。
(3)公然わいせつ罪や墳墓発掘罪等との比較
「国旗を大切に思う国民の感情」を保護法益とすることについては、善良な性風俗を保護法益とする公然わいせつ罪(刑法第174条)や、宗教的感情を保護法益とする墳墓発掘罪(刑法第189条)との比較から、処罰の正当性を根拠づける見方もある。
しかし、公然わいせつ罪の場合、例えば人前で性器を露出する行為のように、行為を禁止すべきであることについて、大多数の国民のコンセンサスがあるといえる。この点で、国民の中でも様々な捉え方がある国旗に対する感情とは事情が異なる。
また、墳墓発掘罪は、多様な宗教を前提として宗教の有する社会的価値を積極的に評価する憲法の態度を前提として、宗教を区別せずに宗教的感情を保護しようとするものであって、特定の宗教に限定しない宗教的感情を保護することについては、国民の承認ないし憲法による承認があるといってよい。
したがって、いずれも本法律と事情を異にしており、本法律の保護法益を正当化するものではない。
(4)ヘイトスピーチの規制との比較
さらに、表現を受けた者の感情を理由とするように見えるヘイトスピーチ規制との比較も問題となりうる。ヘイトスピーチとは、ある個人や集団が特定の人種や民族などの集団的属性を有しているというだけで、その個人や集団を誹謗する言論を言い、我が国でも川崎市等のように差別防止条例により刑事罰をもって規制をしている場合がある。
しかしながら、ヘイトスピーチは、標的にされた人々がその社会で暮らしていくことを著しく困難にし、その人々を対等な話し相手としては認めないと宣言するものであり、民主主義社会の土台を掘り崩すものであって、それゆえに、規制が正当化されうるものである。すなわち、ヘイトスピーチ規制は、単なる不快感の防止にはとどまらず、民主主義社会そのものの維持を目的(保護法益)とするものであって、本法律とは事情が異なっているのである。
(5)他の保護法益の可能性〜諸外国との比較
では、本法律の保護法益として(政府はそのような説明はしていないものの)「国旗を大切に思う国民の感情」を超えた「民主主義社会の維持」のようなものを読み込む余地があるか。しかしながら、諸外国の類似の規定との比較から、このような理解は困難であると言わざるを得ない。
すなわち、諸外国にも、国旗損壊罪に類する規定をもつ国は存在するが[7]、それは「国旗を大切に思う国民の感情」を保護するものではなく、国旗が象徴する人類普遍の価値とそれに基づく国家体制が保護法益とされている。例えば、ドイツでは、ナチス期の国旗を否定して新たに作られた国旗が象徴する自由民主主義的法治国家の存立を保護するものとして国旗に対する罪が位置づけられている。イタリアでは、戦後の共和制体制を象徴するものとして新イタリア国旗を保護するものとされている。いずれも、国旗に対する罪は、戦後の民主主義ないし共和制という国家体制の保護と密接に関係しており、「国旗を大切に思う国民の感情」を保護法益とする本法律とは全く異質である[8]。その一方で、日本においては、戦前との連続性を持つ日章旗(「日の丸」)が国旗と定められたこともあり、国旗が戦後の民主主義を象徴するものと言えるかどうか疑問である。それどころか、日章旗の捉え方によっては、国旗損壊罪は、戦前の軍国主義の象徴を保護するものと解釈されかねないのであり、諸外国の類似規定と全く逆の理解をされる危険性すらある。
したがって、本法律に、民主主義社会の維持といった保護法益を読み込むことも困難であると言わざるを得ない。
このように、正当な保護法益ないし立法目的が見出せない本法律は廃止すべきである。
4 表現の自由、思想・良心の自由の侵害
本法律は、表現の自由(憲法第21条)及び思想良心の自由(憲法第19条)との関係において重大な問題がある。
国旗の損壊は、歴史的にみても、比較法的にみても、政治的表現の文脈で行われることが多い。したがって、本法律は、とりわけ憲法第21条の表現の自由との関係が問題となりうる。
アメリカ合衆国の裁判例には、表現の自由を保護するために、国旗の損壊行為を不快と感じた者がいるにもかかわらず、州の国旗保護法の適用を違憲としたものがある(Texas v. Johnson, 491 U.S. 397, 414 (1989))。また、欧州人権裁判所でも、政治的表現として国王夫妻の写真を公衆の目の前で焼損した行為を、その表現が不快と感じられるものであるにもかかわらず、表現の自由の観点から処罰できないとしたものがある(ECtHR, Stern Taulats and Roura Capellera v. Spain, App. Nos. 51168/15 and 51186/15, Judgment of 13 March 2018, para 30)[9]。
(1)違憲審査基準について
本法律も、同様の観点から違憲性が問題になりうるところ、表現の自由の規制が問題になる場合には、その違憲性は厳格な審査基準によらなければならないものとされている(いわゆる二重の基準論ないし表現の自由の優越的地位)。
とりわけ、規制が表現の内容に着目したものである場合は、立法目的が必要不可欠のものであり、規制手段が必要最小限でなければならないとする最も厳格な審査基準が妥当するものとされる。どのような場合が表現の内容に着目した規制にあたるのかは問題であるが、これを表現の伝達するメッセージを理由として規制するものをいうとする見解によれば、国旗損壊等によって他者を不快にさせるという伝達的効果に着目する本法律は表現内容規制に当たるとする可能性がある。あるいは、国旗損壊等により他者を不快にさせることは、ほとんどが政府に対する抗議を内容とするものであると考えられることからすると、本法律は、特定の見解の規制を意図するものとして、表現内容規制と理解される(上記Texas v. Johnson判決も、被告人の行為が政府への抗議という内容を含み他者を不快にさせたことを理由として内容規制と位置づけられている。)。そうだとすれば、本法律は、立法目的が必要不可欠のものであり、規制手段が必要最小限かどうかを厳格に審査しなければならないこととなる。
もっとも、立法提案者の資料において述べられているように、「『人に著しく不快又は嫌悪の情を催させる方法』に該当するかどうかの判断は、あくまでも行為それ自体の客観的な態様やこれを取り巻く状況などを考慮して行うものであって、行為者が伝達しようとした表現やメッセージの内容を考慮して行うものではない」ことを理由に、本法律を、「方法規制であって、表現やメッセージの内容に着目した内容規制ではない」と解したとしても、本法律に対する違憲審査が緩やかになるわけではない。表現に対する規制である以上、たとえ方法に対する規制であったとしても、目的が重要であり、より制限的でない他の選びうる手段がないかどうかが司法の立場から審査されなければならないとされている。したがって、方法規制であるとしても、合憲性が緩やかに審査されてよいことにはならない。
(2)本法律の合憲性について
以上を前提に本法律の合憲性を検討した場合、本法律はその立法目的において既に上記の審査基準を満たさず、違憲というほかない。
すなわち、本法律の立法目的は、上述3のとおり、「国旗を大切に思う国民の感情」とされているが、上記3(2)で検討したとおり、本法律が規制する国旗の損壊等の行為は他者の思想信条の自由を侵害するものとは言えないから、「人権相互の矛盾衝突」という表現の自由の制約根拠を満たしているとは言い難い。また、本法律を、国旗の損壊等によって生じる「不快感」を処罰の根拠とするものと理解した場合であっても、既に検討したとおり(3(2)ないし(5)参照)、国旗に対する感情が様々である現状を前提とすると、国民の大多数が承認し、これを保護することについてコンセンサスが得られる程の利益が存在しているとは言えない。したがって、本法律の立法目的は、必要不可欠であるとか重要であるということは言えないものと考えられる(それどころか、緩やかな審査基準すら充足しているか疑問である。)。
まして、他者の表現、とりわけ政治的表現については、本質的に、これに反対する者に当然に不快な感情を抱かせうるものであることから、政治的表現の自由を保障するということは原則として表現を受領する側に不快感を甘受する義務がある[10]。そうだとすれば、他者の「不快感」を制約の根拠とすることは、憲法第21条が政治的表現の自由を保障したことと正面から抵触することとなる。したがって、他者の不快感としての「国旗を大切に思う国民の感情」は、とりわけ政治的表現の自由との関係では、正当な立法目的ではない。したがって、本法律は憲法第21条に違反し違憲無効であるから廃止すべきである。
この点に関し、本法律は、第3条において「この法律の適用に当たっては、表現の自由その他の日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。」と留保を付しているが、「国旗を大切に思う国民の感情」を害するとしながら、いかなる事情があれば処罰を免れることになるのかは全く明らかではない。立法提案者は、本法律の第3条を違法阻却事由の問題と位置づけ、「違法性阻却事由の有無の判断は、政治的意見表明や芸術的表現が問題となっているケースで行われることが多いと思われるが、その場合における判断基準の一つとしては、その方法による以外には政治的意見表明や芸術的表現をなし得ないものと社会一般に理解されるかどうかということが挙げられると考える。」と述べているが、これは政治的表現や芸術的表現としての国旗損壊等を原則として処罰するものと宣言するものであり、憲法が表現の自由を保障した趣旨を全く理解していないと言わざるを得ない。また、違法阻却判断基準の例として挙げる「その方法による以外には政治的意見表明や芸術的表現をなし得ないものと社会一般に理解される」ことは、本法律を表現の方法規制と解し、方法規制について違憲審査基準を緩める理由(他の表現方法が存在するから厳格審査をしなくてよい)から演繹したものと考えられるが、違憲審査基準の選択の根拠と違法阻却事由の根拠(優越的利益の存否)を混同している上に、政治的意見表明や芸術的表現につき、他の方法が無い場合という極めて限定された例外的な場合を除き、「国旗を大切に思う国民の感情」に優越する価値を認めないことを表明するものであり、原則と例外を倒錯していると言わざるを得ず、到底許容されない。立法提案者は、どのような立法目的が表現の自由の制約根拠となるのかを理解しておらず、その違憲性を真摯に検討していないと言わざるを得ない。
したがって、本法律は、憲法第21条の表現の自由を侵害するものであり、違憲である。
(3)思想・良心の自由の侵害のおそれ
上述のとおり、本法律は違憲である。また、この点を措いても、本法律により、「国旗を大切に思う国民の感情」が保護され、その反面として、それ以外の感情を否定的に捉えるメッセージとなるようなことがあれば、ひいては国が国旗に対する特定の感情を強制することにもなりかねず、憲法第19条の思想・良心の自由を侵害するおそれがある。
5 罪刑法定主義に反すること
本法律は、刑罰法規の明確性を求める憲法第31条との関係において、重大な問題がある。
(1)本法律の構造
刑罰法規は、憲法第31条に基づき明確性が求められるのであり、その判断は、「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的にどの行為が法律の適用を受けるかどうかの判断が可能かどうか」という最大判昭和50年9月10日刑集29巻8号489頁(徳島市公安条例事件最高裁判決)の基準によって判断すべきものとされる。
本法律の構成要件をみると、客体である「国旗」について、「国旗及び国歌に関する法律に定める国旗として用いられていると社会通念上認められる有体物」(第1条)と定義され、禁止されるべき行為について、「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法」で「公然と国旗を損壊し、除去し、又は汚損」することと定められている。そして、その判断については、「行為の外形、周囲の状況その他の客観的な事情を総合的に勘案して行う」(同条2項)とされている。
しかしながら、本法律は、客体及び行為のいずれについても明確ではなく、憲法第31条に違反し、違憲無効と言わざるを得ない。
まず、客体である「国旗」については、政治的な賛同や抗議という意見表明、芸術作品、映画、ファッション、商業広告、スポーツ応援など国民生活の様々な場面において、着色、変形、切り貼り、デザイン化等、多岐にわたる表現手段として用いられているところ、そのいずれも「国旗」として認識されており(少なくとも、「国旗及び国歌に関する法律」第1条1項にいう「日章旗」でないとの認識は持たれていない。)、一体どのようなものが処罰の対象から除外されるのか全く明らかではない。「日章旗」と認識され得るものを全て処罰するとすれば、処罰対象は明らかに広すぎるし、処罰されないものがあるとしても、その限界は明らかではないのである。
また、処罰の対象となる行為は、一層不明確である。すなわち、本法律では「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法」かどうかで処罰の限界を画しているが、「不快」や「嫌悪の情」というのは本質的に主観的な判断にならざるを得ない。既に述べたように、国旗をめぐる国民の感情が様々である以上、「周囲の状況その他客観的な事情を総合的に勘案」したところで客観性のある判断は不可能である。まして、政治的表現が対象となる場合には、政治的表現の本来の性質(反対する者にとっては常に不快である)からすると、それこそ「客観的な事情」から「不快又は嫌悪の情を催させる」ことになる。なお、本法律の審議の際に、ストーカー規制法第2条第1項6号や軽犯罪法の第1条20号などとの比較により、明確性が語られたことがあるが、これらの法律では、禁止される行為が例示されており、例示のない本法律とは構造が異なる。したがって、これらの法律との比較により、本法律が憲法第31条に違反しないということはできない。
特に、本法案は政治的な表現行為に適用される場面が想定されるため、刑罰法規の不明確性が民主主義社会において重要な政治活動に及ぼす萎縮効果は極めて深刻である。このような効果に鑑みても、本法律は廃止すべきである。
(2)立法提案者の説明
憲法第31条との関係で、立法提案者の資料は、「基本的に構成要件に該当すると考えられる事例」「基本的に構成要件に該当しないと考えられる事例」を例示している。
しかしながら、これによって構成要件の限界が明らかになったとは言い難い。すなわち、提案者は、「基本的に構成要件に該当すると考えられる事例」として、「あえて、悪天候の日に公道上に国旗を置き、泥や雨でひどく汚す場合」「あえて、車両の往来が激しい公道上に国旗を置き、タイヤ痕などでひどく汚す場合」を指摘しているが、「あえて」という主観的要素が構成要件該当性を基礎づけるのか、そうでないとすれば、掲揚していた国旗が公道上に落下し、泥や雨あるいはタイヤ痕などでひどく汚れるのを放置していた場合には構成要件該当性が認められないのか等の疑念が生ずる。また、「基本的に構成要件に該当しないと考えられる事例」として、「古くなった、あるいは、汚れてしまった国旗を廃棄するために屋外の人目に付く 場所でその国旗を焼却する場合」をあげているが、「古くなった、あるいは、汚れてしまった」国旗であっても、これを公然と損壊等することは人を不快にさせうるから、構成要件該当性の限界を明らかにしているとはいえない。
さらに、違法阻却事由の判断基準の一つとして、前述のとおり、「その方法による以外には政治的意見表明や芸術的表現をなし得ないものと社会一般に理解されるかどうか」が示されているが、「違法性が阻却される可能性がある場合」「違法性が阻却されない可能性がある場合」として例示されるのは、ほとんど一般基準の言い換えにすぎず、どのような事実が違法性阻却を基礎づけるのかの手がかりを与えるものとは言い難い。このことは、立法提案者は違法性が阻却される場合をほとんど想定していないことを裏付けるものともいえる。
いずれにせよ、立法提案者の資料によって、「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的にどの行為が法律の適用を受けるかどうかの判断が可能」となったものということはできないのであり、憲法第31条違反の結論を左右しない。
したがって、本法律は、憲法第31条の罪刑法定主義に反し、違憲である。
6 結論
以上のとおり、本法律は、その必要性を基礎づける立法事実が示されているといえず、憲法で保障されている国民の権利を制約するための正当な根拠となる保護法益があるともいえず、憲法第21条の表現の自由を侵害し、また、憲法第31条の罪刑法定主義に反し、違憲である上に、憲法第19条の思想・良心の自由を侵害するおそれもある。
本法律は、その必要性が明らかにされたとはいえず、処罰の基準も曖昧であって、制度を真っ当に運用することができるのかは甚だ疑問である。また、本法律は、制定の発端からして、いわゆる「象徴立法」である疑いが強く、共謀罪のように実際の適用例が見られない法律になる可能性もある。しかしながら、本法律は、判断基準の曖昧さ故に濫用の危険が大きく、いつ何時言論統制の道具とされる可能性があるかわからないものである。しかも、本法律の附則には、施行後3年を目途として、映像、陳列またはこれに類する表現行為について検討し、必要があると認められるときは「所要の措置が講ぜられる」との定めまである。これは、国旗を用いた表現行為に対してさらなる規制が加えられるのみにとどまらず、国民の日常生活のあらゆる分野に規制が及ぶ可能性を示唆するものであり、濫用の危険を一層大きくするものである。
また、本法律のような立法を許容することは、国旗損壊という限定されたものにとどまらず、政府や社会に対する異論やマイノリティーの活動に対する不当な規制を許容することにも結びつきかねないものであって、到底許されるものではない。
したがって、当会は、憲法違反である本法律に反対し、速やかに廃止すべきものと考える。
以上
[1] https://sites.google.com/view/kokki-sonkaizai-hantai/%E5%A3%B0%E6%98%8E%E6%96%87
[2] https://sites.google.com/view/kokki-conlaw-seimei/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
[3] 長谷部恭男・『憲法(第8版)』446頁・新世社・2025年
[4] 自己の所有物に放火し公共の危険を生じさせた場合は、建造物等以外放火罪(刑法110条2項)として処罰することが可能である。
[5] ロシア帝国皇太子を日本の警察官が切り付けた事件。
[6] 倉富勇三郎=平沼騏一郎=花井卓蔵監修、高橋治俊=小谷次郎共編〔松尾浩也増補解題〕「増補刑法沿革綜覧日本立法資料全集別巻2」1670頁・信山社・1990年
[7] 外国法制の紹介として、江藤隆之「日本国章損壊罪の立法に関する基礎的考察」35頁以下・桃山法学第44号。
[8] 本法律がもたらす病理現象として、日章旗がヘイトの象徴として用いられるおそれが指摘されている(前掲刑事法研究者声明)。すなわち、例えば、外国人排斥デモ(ヘイトデモ)の先頭に「日の丸」を掲げ、これに抗議して当該「日の丸」を損壊ないし汚損することを国旗損壊罪で排除できるとすれば、「日の丸」はヘイトの象徴として機能してしまうことになる(ヘイトデモを「日の丸」が守っているように見えることとなる)というのである。このようなことが可能になれば、国旗損壊罪は、外国国章損壊罪とは逆に、我が国の外交関係を危うくするおそれすらある。
[9] 江藤前掲36頁以下、前掲刑事法研究者声明を参照。
[10] 松井茂紀「日本国憲法」第3版478頁は、「表現の自由がある以上、国民は他人の表現を受忍しなければならない。つまり、その限りで気に入らない表現に対して目を背けたり耳を塞いで立ち去る苦痛に耐えなければならないのである。」と述べる。
ダウンロードはこちら→[ダウンロード](.pdf 形式)
