読書感想文


みなさん、はじめまして。京都弁護士会所属の弁護士田原卓哉と申します。

先日、テーマ・文字数とも自由でよいのでブログの原稿を書くように、との命を受けたのですが、私は、文章を書くのが本当に苦手です。何かテーマでも決まっていれば、グーグル先生に聞くなどすればなんとか形にできるかも知れません。ところが、自由演技となるとそれも叶わず、私のようにアドリブのきかない人間は途端にナマケモノのように動かなくなってしまうのです。

文章を書くということでいいますと、私がまず思い出すものはなんといっても読書感想文です。小・中学校時代に課された夏休みの宿題のなかでは、読書感想文が他の追随を許さないレベルで嫌いでした。締め切り前に終わらせた試しがありません(もっとも、他の宿題もそうでしたが)。ともかく、読んだ本についての感想はもとより題名すらほぼすべて無意識の彼方へと抑圧してしまっているわけですが、それでも1冊だけ今もはっきりと覚えている本があります。ジュール・ヴェルヌが著した「十五少年漂流記」という小学校時代に読んだ冒険小説です。かいつまむと、「スラウギ号」という船に乗った15人の少年が無人島に漂着しながらもたくましく生きて2年後無事に故郷へ戻るという物語で、ご存じの方も多いことと思います。

なぜこの本だけ覚えているのかといいますと、この本との出会いこそが羅針盤となり私の人生行路を方向づけたから・・・ではなく、幼い頃の禍々しい思い出として今なお私の脳裏に深い皺となって刻まれているからです。

その当時、読書感想文は400字詰原稿用紙に5枚、すなわち、2000文字程度書くことが条件とされていました。お年玉ですら2000円ももらえなかった小学生時代の私などからすると、2000文字も書くというのは、おおげさでもなんでもなく天文学的数字でした。それでも、読めば何か感ずるところがあるかもしれないと淡い期待を抱きつつ本を読み終えました。ところが、やはり、感想文を書こうとしても「おもしろかった。」という8文字以上の言葉が浮かびません。ぎりぎり2行にまたがるように一文を作ってすぐに改行するというあまりに露骨すぎてだれも使わないテクニックを駆使しても1枚も書けないのです。私の右手に握られた鉛筆は、「スラウギ号」のようになすすべなく虚空を漂流しつづけました。

夏休み最終日の8月31日、うだるような暑さにもかかわらず一人冷や汗をかきながら、どうすれば書き上げられるのかを必死に考えました。刻々とタイムリミットが迫る中、しかし、ついに私は原稿用紙のマス目を埋める方法を思いついたのです。それは、感想文を読む者のなかにはストーリーはおろか登場人物すら知らない人もいるだろうから、主役級の人物だけでもさらっと紹介すればある程度枚数を稼げるではないか?という、今振り返ると、泥舟としかいいようのないアイディアでした。しかし、当時の私には戦艦大和やタイタニックに見えたのでした。どのみち沈むことも知らずに・・・。

見よ!少年だけでも15人もいる!

それはまるでヌエのような何か得体の知れないものが私に乗り移った瞬間でした。これまでの苦しみは嘘のように雲散霧消し、ゆらゆらとたゆたうばかりだった筆先は、帆に追風を受け波を切り裂かんばかりの勢いで進む船のように原稿用紙の上を走り、白くならんだ幾何学模様のマス目を次々と黒く埋めていったのです。

これで読書感想文も完成しドヤ顔で学校に行ける、そう思った矢先でした。なんと、5枚目にさしかかろうという段になってもバクスター(5人目)の紹介すら終わっていなかったことに気がついたのです。もちろんここまで感想なし。さすがに感想のない感想文ではしゃれにもならないことくらいは小学生の私でもわかりました。一瞬、目をつぶってこのまま提出しようかとも思ったのですが、あまりにひどい出来映えに、私は、なくなく断腸の思いで書き上げたばかりの少年5人の紹介文を破り捨てたのでした。そして、気を取り直し、ふたたび残った10人の紹介文を書きはじめたのです・・・(うそ)。その後のことは全く覚えておりません。

ここまで書けば読者の皆様にも私がどれほど文章を書くことを苦にしているのかをご理解いただけたと思います。このブログについても、文面には表れておりませんが、「締め切り間近、やばいし書くぞ!」と気合いを入れてパソコンに向かってからすでにのべ8時間は経過しております。正座していれば修行を積んだお坊さんでも足がしびれて立ち上がれないでしょう。しかも、それ以前に、部屋片付けなど積み残した仕事以外にできることは全てやり尽くしているのです。

さて、インターネット上のブログという性質上、与えられた紙数が尽きることはないようですが、そろそろネタが尽きましたのでこのあたりで筆を置くことをお許しいただこうと思います。

無人島へ漂流した15人の少年もはじめは絶望の淵にあったでしょう。私も執筆依頼が来た時はそうでした。しかし、ようやくこの原稿を書き上げんとする今、私は、2年ぶりに故郷へと戻った少年たちの言葉にできない歓喜の気持ちもまた、我がことのように理解できるのであります。


田原 卓哉(2016年5月2日記)



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