小説の読み方


京都弁護士会の皆様はじめまして。71期の川井あかねと申します。昨年の12月から西村法律事務所で弁護士をしております。気がつけば弁護士になって半年が経過していて心底驚いております。
喜んだり落ち込んだり、達成感を感じたり自信をなくしたり、太ったり痩せたりしながら一生懸命に新米弁護士を努めています。

つれづれに文章を書いてよいということで、今日は小説について書いてみようと思います。小説を書くのではありません。
私は小説を読むことが好きなのですが、どうやら小説の楽しみ方が少し変わっているようです。
私は小説に、読み終わった後のスッキリ感・感動のラストシーン・事件解決・ちりばめられた伏線の完全回収などを一切求めておりません(もっとも、伏線は回収していただくに越したことはありません。)。自分にどこか考え方が似ている登場人物の日常が切り取られ、とくに事件性のない日常が繰り広げられ、その日常はこれからもだらっと続いてゆく(で、小説は急に終わる。)ようなわけのわからない小説が好きです。
そしてどこかで、その登場人物の日常がだらっと続いているような気がすると元気がでます。久しぶりにその小説を読み返したときに、その登場人物は当然ながらまだその物語の中にいて、「なんだ、お前まだそんなとこでくすぶってたのか、まだ同じことを悩んでいたのか、友よ。私は少しだけ前に進んだよ。」みたいな再会を果たすことができるのです。
そして、その自分にどこか考え方が似ている登場人物の些細な感情を表現した文章で、気に入ったものをメモに書きためてゆくのが好きなのです。高校生くらいのときから、好きな文章探しのための読書をするようになり、手帳や日記帳にはたくさんの言葉がたまりました。私自身が綴った言葉ではありませんが、たくさん好きな言葉がたまっていくのことは幸せなことです。ちなみに、私のお気に入りの言葉たちは、別に「元気の出る名言」ではありません。私にそっと寄り添ってくれる、あるいは、少しひねくれた言葉たちかもしれません。
このブログでは、その好きな言葉を少しだけご紹介させていただくことに致します。

「言葉がおそらくこの場を救う只一つのものだろうと、いつものように私は考えていた。私特有の誤解である。行動が必要なときに、いつも私は言葉に気をとられている。(三島由紀夫「金閣寺」)」
「マメは台所のことをキッチンなんて言わなかった。とても小さなことだけどそういうことが私をとても落ち込ませる。(西加奈子「通天閣」)」
「人ってのはいつだって見当違いなものに拍手をするんだよ。世の中広しといえども、こんな退屈なやつにはちょっとお目にかかれないぜ。(J.Dサリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」訳:村上春樹)」
書き出してみると、やっぱりわけがわかりませんね。愛すべきひねくれ言葉たちよ!



川井あかね(2019年6月12日記)

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