キャラの濃さとは


どれくらいの人が閲覧されているのかわかりませんが、京都弁護士会のブログを読んで下さりありがとうございます。京都弁護士会所属の佐藤雄一郎と申します。
さて、最近では毎朝テレビをつけると必ずといっていいほど取り上げられている話題がコロナ関係の報道です。マスクを着用した場合の飛沫の飛散率やマスク警察と呼ばれる人々が随所で散見されるようになったことなど、コロナに起因する話題ばかりが目に付きます。個人的にはもうウンザリといった感じです。
そんな僕が現実逃避をするように最近嵌まっているのがテレビゲームです。元々、家の中より外に飛び出して行くのが好きな性分ですが、コロナ騒動のせいでステイホームすることを強いられた結果、ゲームという仮想空間の中に外出する羽目になりました。といっても、VRゴーグルを着けて海の中に潜ったりするわけではなく、お気楽に楽しめるノベルゲームをメインに遊んでいます。具体的なタイトルを挙げるとゲーム会社の回し者であるとの嫌疑を掛けられるので、あえてタイトルは書きませんが、妄想の武器を使って戦ったり、拡張現実の世界から脱出を図ったりしています。現実の世界にいたら、キャラが濃すぎる登場人物も「ゲームだから」の一言でなんとか割りきれます。僕自身は、彼らほどキャラが濃くはなく、むしろ存在感が薄い方なので(自称)、どこか憧れる部分があるのですが、だらだらゲームをしながらふと疑問に思いました。なぜ、ゲームキャラはあんなにキャラが濃ゆいと感じるのだろうと。
  奇抜な言動や服装をしているために目を引くというのも勿論ありますが、見慣れてしまうと存在感がぐっと薄くなります。つまり、外見だけではすぐに大勢の中で埋もれてしまうのです。逆にそれほど奇抜な見た目をしていなくとも遺憾なく存在感を発揮しているキャラもいます。何が違うかといえば、ズバリ突出しているものがあるかどうかです。オンリーワンといえるような才能やスキルを持っていると人の目をぐっと引きつけます。要するに、見た目も重要だけど、結局人間中身で勝負だよねという昔から聞くこの言葉が真理だということです。
  なぜか、キャラの濃さは正義という前提で話を進めていますが、マスク人間だらけになりつつあるこのご時世でキラッと光りたいと思っているなら、これだけは負けねぇというものを身に付けたらいかがでしょうかというご提案です。コロナで外出自粛をさせられている今だからこそ逆に家に籠もって自分磨きのチャンスだと前向きに捉えて辛い世の中を生きていきましょう。
  長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。


佐藤  雄一郎(2020年9月25日記)




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