労働基準法施行規則の一部を改正する省令(資金移動業者の口座への賃金の支払いの解禁)に反対する会長声明(2022年12月22日)(本イベントは終了しました。)


労働基準法施行規則の一部を改正する省令(資金移動業者の口座への賃金の支払いの解禁)に反対する会長声明



1  厚生労働省は、資金移動業者の口座への賃金支払い(以下「賃金のデジタルマネー払い」という。)を可能とする、労働基準法施行規則の一部を改正する省令(令和4年厚生労働省令第158号)を、本年11月26日付で公布した。
しかし、かかる支払い方法は、賃金の通貨払いを定める労働基準法第24条第1項の趣旨に反するものであり、労働者保護の点でも複数の大きな懸念があることから、当会は導入に反対する。

2  労働者への賃金の支払いに関しては、労働基準法第24条第1項が、罰則付き(同法第120条第1号)で賃金の通貨払いの原則を定めており、その例外は、労働者の同意を要件とする銀行口座への振込み等に限定されている(労働基準法施行規則(以下「規則」という。)第7条の2第1号及び第2号)。その趣旨は、労働者にとって最も安全で便利な交換価値のある通貨での支払いを確保することによって安定した経済生活を成り立たせ、もって健康で文化的な最低限度の生活を送ることができるようにすることにある。
しかし、賃金のデジタルマネー払いを解禁した場合、かかる趣旨が没却され、労働者の経済生活や最低限度の生活が成り立たなくなる可能性が大きく存在する。

3  まず、資金移動業者には大小様々なものがあるが、概して、破綻の懸念は金融機関に比して高いといわざるを得ない。そのような場合に、可及的速やかに全額が弁済されなければ、労働者の日々の生活にたちまち困難を来すにもかかわらず、この点について、規則第7条の2第3号ロでは、労働者に対して口座残高全額を速やかに弁済することを保証する仕組みを有していることが必要とされているものの、具体性に乏しい。しかも、厚生労働大臣が資金移動業者に報告や必要な措置を求めることができるとされている(規則第7条の5)ものの、それらが実施されるのは「必要があると認めるとき」としかされておらず、実効的な監督体制が構築されているとはいえない。
また、不正引出等に対する資金移動業者のセキュリティ体制も千差万別であり、現に大手の資金移動業者であってもセキュリティの不備から問題を起こしているように、十全の備えがなされているとはいえない。加えて、現在想定されている補償は、労働者に帰責事由のない場合のみであり(規則第7条の2第3号ハ)、銀行預金の場合と同程度の補償制度は想定されていない。
このように、取扱事業者や万一の場合の資産の確保という観点から、デジタルマネーが通貨と同等の安全性があるとは、到底いうことができない。

4  さらに、現状のデジタルマネーは、通貨と同等の交換価値があるともいえない。
デジタルマネーを導入していない店舗はいまだに多く、経済産業省が中小事業者におけるキャッシュレス決済の導入率を調査した「キャッシュレス決済  実態調査アンケート集計結果」(2021年)によると、コード決済の導入率は、55%にとどまる。経済産業省が2022年6月1日に発表したキャッシュレス決済比率(民間最終消費支出に占めるキャッシュレス決済による支払い額)は、32.5%にとどまり、しかもそのうち27.7%がクレジットカードによる支払い額である。
自動販売機の支払いや公共交通機関の料金支払いなど、デジタルマネーでは行えないものが少なくなく、通貨等に換金しなければならない場面が存在するが、その通貨等への換金もどの程度できるか不分明である上、「少なくとも毎月一回は当該方法に係る手数料その他の費用を負担することなく当該受取ができるための措置」(規則第7条の2第3号ヘ)が求められているに過ぎず、月2回目からは手数料などの負担が労働者に生ずる可能性もある。そもそもデジタルマネーにはスマホ等の端末が必要であるため、その端末を持っていない場合はもちろん、持っていても電波状況などによっては利用できなくなる。
デジタルマネーは、現状では通用力・信用力が弱く、通貨と同視できるだけの交換価値はないのである。

5  賃金のデジタルマネー払いには労働者の同意を要件とするとしているが、現行の銀行口座への振込等についても、実際上は、使用者が特定の金融機関を指定していることが少なくなく、労働者が同意を余儀なくされることは容易に想像できる。このように、労働者の同意要件は形骸化するおそれがあり、労働者の同意は、デジタルマネー払いを希望しない労働者との関係での歯止めとはならない。

6  そもそも、賃金のデジタルマネー払いに対する労働者のニーズや利益は乏しい。公正取引委員会「QRコード等を用いたキャッシュレス決済に関する実態調査報告書」(2020年4月)によれば、65%が「コード決済を利用したことがない」と回答しており、上記「課題の整理⑦」の「参考資料②その他」に記載の調査では、「賃金のデジタルマネー払いを利用したい」と回答したのは26.9%、「賃金すべてをデジタルマネー払いにしたい」と回答したのはわずか7.7%にとどまる。
MMD研究所(モバイルマーケティングデータ研究所)が、2022年6月、就業している全国の労働者を対象に賃金のデジタルマネー払いについて説明したうえで利用意向を聞いた結果でも、「利用したい」「やや利用したい」があわせて33.6%にとどまっている。
このとおり、現状において、賃金のデジタルマネー払いの導入は、労働者の保護が蔑ろになる点で労働基準法第24条第1項の趣旨に反するとともに、導入を必要とする立法事実も乏しいといわざるを得ない。

7  以上の理由により、当会は、賃金のデジタルマネー払いの導入に反対するものである。


2022年(令和4年)12月22日

京都弁護士会                  

会長  鈴  木  治  一
    

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