愛すべきマイノリティー


ずっとこの仕事をしていると,当たり前ではあるが,弁護士をたくさん見ることになる。「毎日が充実しています。楽しくて仕方がありません。まさに天職!」という人もいれば,どこか無理をしているんじゃないかと心配になってしまう人もいる。
世間一般に期待される「あるべき弁護士」の姿ってどういうものなのだろう?
スパッと鋭い切れ味の頭脳を持つ人,立て板に水のごとく弁の立つ人,丁々発止と交渉ができる人……ぱっと思いつくのはそんなところか。
でも頭脳明晰で雄弁で交渉力も抜群だけど,「弁護士にだけはなって欲しくなかったなぁ」という人がいるのもまた事実だ。
そうするとこの仕事の適性とは何だろう?と考え込んでしまう。


弁護士はマイノリティーへの共感力が大切である。よくそう言われる。
ただ私がここで述べたいのは,「弁護士たるもの少数派の権利の代弁者であるべし」と肩肘張って自己陶酔することではない。もっと自然で謙虚な観察眼から生まれる慈しみにも似た感情のことである。
望まずしてマイナーの星を背負ってしまった人々を見て,なぜか一方的に共鳴,共振してしまう。そんな業ともいうべき妄想力である。

数年前,〈街行く人にききました。急須で淹れたお茶に近いのはA,Bのどっち?〉,〈なんと9割の人がAと回答,選ばれたのはAでした〉というようなコマーシャルがあった。
このコマーシャルをみて,どういうわけかAを選ばなかった(選べなかった)人たちのことが気になって仕方のないあなた。Bを選んでしまった1割の人生に思いを馳せてしまうあなた。そんなあなたにはきっと弁護士の適性がある。

  Aを選んだグループに浮かぶホッとした表情。空気を見誤らなかったことへの安堵感。心なし漂う優越感。
対照的なBグループ。
「……あれ?」
「いつも淹れるお茶の味がするのはBなのに」
「こっちの方がおいしいと思うけどなあ」
ぼそぼそとつぶやきが漏れる。落ち度もないのに期待に応えられなかったと申し訳なく思ってしまうBグループ。そこはかとなく漂う敗北感。スタッフも心なしか失望しているようにみえる。差し出された記念品のタオルを受け取れず,そそくさと足早に退散するBグループ。


あるいは,弁護士はトラブルを解決するのが使命である。これもよく言われる。
ただ,もつれ合った感情を無理に解こうとすると余計にややこしくなってしまうのが,この仕事の難しいところである。
だから,考えをうまく整理できない人や結論にまでスムーズに運べない人を無理に先導することなく,まずは受け入れてみる。相反する感情が同時に存在することを当然だと受け止める。そんな受容力も大事ではないかと思う。

昔,甲子園球場のライトスタンドで〈読売巨人軍は好きですか?〉という命知らずなアンケートが取られたのを,テレビで観た記憶がある。案の定,〈はい 3% いいえ 95% どちらともいえない 2%〉といった回答であった。
  この回答をみて,なぜか〈どちらともいえない〉と答えた人たちのことが気になってしまうあなた。〈はい〉はもちろん〈いいえ〉にも○をつけられず,〈どちらともいえない〉に行き着くまでの葛藤を勝手に妄想してしまうあなた。そんなあなたにもやっぱり弁護士の適性がある。

「……何を質問しとんねん。生まれてからこの方タイガース一筋。巨人なんか嫌いに決まっとるやろ」
「だいたい他から選手を買い漁るやり口が気に食わへんねん。あの元オーナーも相変わらず偉そうやし」
――〈いいえ〉に手が伸びる。
「……あれっ?ちょっと待てや。金にモノをいわせてるのは阪神も一緒とちゃうか」
「当たり前のように応援してるけど自分は心底タイガースを愛しているんやろか。関西のノリに合わせてるだけちゃうか」
「憎い憎いといいながら,ほんまは巨人が気になって仕方ないんとちゃうか。心の底ではむしろ巨人が好きでたまらんのかも知れへん……」
だんだんと確信が揺らいでくる。
「あかん。分からんようになってきた」
――〈どちらともいえない〉に○。


なんとなく人生にぴたっとした立ち位置を見つけられない人たち。
自分の気持ちさえおぼつかず,人生の分岐点でことごとく微妙な選択をしてしまう人たち。
結果,気がつけば居場所がどんどん片隅に追いやられてしまう人たち。
かといって他人や世間のせいにするわけでもなく,しっくりとこない気持ちを抱きつつも一日一日をひっそりと生きる人たち。

彼ら彼女らのとても小さな声が聞こえてしまう人。周波数が合ってしまう人。何となれば自分がそうだから。
そういう人が弁護士に向いているような気がする。あるいは,そういう人にこそ弁護士になってほしい。そんな願望なのかもしれない。


以上


後藤  隆志(2015年12月21日記)


関連情報