真の自由
こち弁ブログをご覧の皆様、はじめまして。新人弁護士の辻井圭太朗と申します。
本日は、「真の自由」というタイトルでブログを書かせていただきます。現在私は、自宅で、コーヒーを片手に、オスカーピーターソンの個人的名盤である「A Jazz Portrait Of Sinatra」を聴きながら、非常にリラックスしてパソコンに向かっています。皆様も是非、お好きな音楽をかけつつリラックスしてお読みください。
さて、私は、幼い頃からクラシックピアノを習っていたのですが、中学2年生のときにこの職業を目指してからは、趣味としてピアノを楽しんできました。そして、大学生の頃にテレビでたまたま聴いたジャズピアニストである小曽根真さんの演奏に衝撃を受け、ジャズピアノの魅力に取り憑かれました。当初は聴く専門だったのですが、様々なジャズピアニストの演奏を聴いているうちに、自分でも弾いてみたいと強く思うようになりました。そこで、受験勉強が終わった(と信じていた)2回目の司法試験受験後から、ジャズオルガニストである小曽根実さん(小曽根真さんのお父様です)が経営されている小曽根ミュージックスクールでジャズピアノのレッスンを受け始めました。
レッスンを受け始めて、ジャズピアノを演奏することの難しさを、身をもって感じました。その難しさは、ジャズピアノとクラシックピアノの演奏方法の違いに起因するものでした。
クラシックピアノは、譜面に詳細に書かれた和音や音の長さや音楽記号を忠実に守って演奏するのですが、ジャズピアノには詳細な譜面はありません。では、どうやって演奏するのかというと、決められたコード進行に沿って、和音や音の長さや音の強弱等を自分なりに決めて自由に演奏していくのです。この「自由に」という部分がくせ者で、何をどう弾けば「自由に」演奏できるのか全く分かりませんでした。大学生の頃からジャズはよく聴いていたので、その場その場で「こう弾きたい」と思うようなフレーズや和音はなんとなく頭に浮かぶのですが、習い始めた頃はそれを音色にすることが全くできませんでした。
しばらく習っているうちに、ジャズピアノを「自由に」演奏するためには、様々なルールを守りながら演奏しなければならないということを学びました。例えば、このコードにはこういう音を並べるとカッコいいサウンドになるとか、あるコードが指定されている場合に、そのコードに対する別のコード(代理コード)に変えて演奏することでオシャレな響きになるといったようなルールです。こうしたルールを無視して適当に指を動かしていても、全くジャズにはなりません。これらの細かなルールを一つ一つ丁寧に覚えて、それらのルールに従って演奏することにより、レッスン受講当初よりは、自分の心の中にあったフレーズや和音を、幾ばくか「音色」にして外に表現することができるようになりました。
このように、レッスンを始めて私が学んだのは、『ジャズを「自由に」演奏するためには、様々な「制約」を自分のものにする必要がある』ということでした。
作家の塩野七生は、その著書『男たちへ』の中で、「自由を制限されたところに真の自由が最もよく発揮される」と書いています。文脈は全く違いますが、この考え方は、私がレッスンを通じて学んだ考え方と非常に似ていると思います。そして、この考え方は、仕事、スポーツ、英会話等の様々な場面でもあてはまると思います。
我々弁護士も、一度バッジをつければ、期が上でも下でも関係なく、基本的にはどのような法律業務でも「自由に」できることになっています。しかしながら、これはあくまで真の自由ではありません。真の自由を手に入れるためには、書面の書き方、法的なものの考え方、法廷での立ち居振る舞い、依頼者との信頼関係の築き方等々、揚げ出せばきりのないくらい様々な「ルール(制約)」を自分のものにしていく必要があります。こうした多くの「ルール」を一日も早く自分の体に染みこませて、弁護士として「自由に」業務がこなせるようになりたいと日々感じている次第です。
と、筆が進みすぎて、いつの間にかオスカーピーターソンのピアノの音色は消え、マグカップのコーヒーがなくなってしまっていました。2杯目のコーヒーを淹れてきます。
最後まで読んでくださってありがとうございました。