勤労世代の囲碁ライフ


0.はじめに
  はじめまして。68期弁護士の道田旭彦と申します。
  わたしは、皆さん恒例の趣味の話題に添えまして、まさに現在堪能中の「勤労世代の囲碁ライフ」について、拙文ながら筆をとらせていただきたいと思います。

1.囲碁のイメージ
  まず、囲碁といって、皆さんはどのようなイメージを抱かれるでしょうか。
  私自身が幼いころは、囲碁といえば、(大変失礼ですが)時間にゆとりのある、定年後の年配の方々の遊び、というイメージがありました。碁会所で、タバコ片手に朝から晩まで、盤に向かって膝を突き合わせている姿は、現に幼いころにしばしば目の当たりにした光景でした。
  あるいは、囲碁は経営者が好んで嗜むものだとも言われるようです。相手と交互に石を打って少しでも多くの領地を取り合うことを目的とすることから、最小限の(人的・物的)資源で最大限の結果を残すための戦略的思考が養われるゲームである、といった印象がもたれているのかもしれません。
  また、我々法律家の中でも、以前は囲碁を嗜む方が多かったようで、全国のどの裁判所や弁護士会にも、必ず碁盤と碁石が置いてあると聞いたことがあります(現に京都地裁の裁判官室や京都弁護士会にも備えられていました)。囲碁は、互いに布石を打つ段階から始まり、大場や急場の判断、相手との何手先もの読み合いを経て、最後は細かい条件をヨセていく、広い盤面全体を通して相手との地道な交渉を行っていくゲームでもあります。さらに個人的に感ずるところとしては、ルールが非常に少なく極めて自由度の高いゲームであることから、様々な流派や定石と呼ばれるものが生まれつつも、どれも定まったものはありません。法律を学ぶ際の、既存の判例・学説の趣旨や射程の理解から、新しい問題に応用していく過程は、囲碁を打つ中でも類似の思考手順を踏んでいるようにハッとさせられることがあります。

  囲碁は、その知名度は決して低くはないものの、実際にルールを学び、日ごろプレーする人口は、その知名度に比して決して多いとはいえないでしょう。今では、弁護士業界のなかでも打ち手はとても減っているのではないかと思われます(京都弁護士会が毎年開催している美しい京町屋での囲碁会に修習生時代にお邪魔させていただきましたが、参加者は十数名ほどだったと記憶しています)。
  そこにはおそらく、囲碁のルールが難解である、そして非常に時間がかかるゲームである、というイメージがあるように思います、そしてまた、周囲に教えてくれる人がいない、気軽に打てる環境がないという実態もあるのかもしれません。


2.近年の囲碁にまつわる話題
  他方で、いまや「ヒカルの碁」によるブームの後、囲碁は年配の方々だけでなく、子どもから大人まで全世代が楽しめるゲームとして知られることとなりました。
  現に、私は中高から始めた囲碁に没頭し、当時、他に流行っていたカードゲームや携帯ゲームと肩を並べるようにして、同じく興味をもった友人とジュース片手に放課後日が暮れるまで囲碁を打っていたものでした。
  しかし、統計を見る限りでは、囲碁人口は1980年代に最も多く、そこからの急激な減少の中では、「ヒカルの碁」の囲碁人口増加に作用した影響は限定的であったともいわれています。
  知名度や興味をもつ人々の数は飛躍的に増加したものの、上述の囲碁へのイメージや実態もあってか、プレイヤーとして定着するには至らなかったのかもしれません。

  また、つい最近では「アルファ碁」が世界に衝撃を与えるニュースとなり、その前提として世界の名だたる大企業が強い囲碁のAI作成を競い合うという事態が起きました。囲碁が囲碁だけにとどまらない、AI技術革新の試金石として、その進歩に大いに貢献するものとして注目されたことは記憶に新しいことでしょう。
  とはいえ、囲碁ファンにとっての「アルファ碁」の話題は、私のような愛媛県出身者にとっては「坊ちゃん」の話をするときのように、どこか切ないPRとなってしまうため、ここではこれ以上触れないこととします(想う所を書き始めると、それだけで大論稿になりそうです)。

  ところで、「ヒカルの碁」の連載当時に小学4年生~中学2年生と、まさにブームの真っ只中にいた私も、今年で28歳となりました。すでに連載から約15年もの歳月が過ぎてしまっています。
  この15年の間に、一度はブームとなった囲碁も、次第に忘れ去られていき、当時定着しつつあった数少ない囲碁ファン達も、いまや勤労世代となって、それまでの仲間や環境を失って散り散りになってしまった人も多いことでしょう。
  しかし、いま、そうした勤労世代の中では、「ヒカルの碁」を見て育った「隠れ囲碁ファン」とも呼べる方たちが、ひっそりとその火を燃え広がらせようとしているのです。


3.勤労世代の囲碁ライフ
(1)囲碁コミュニティの成り立ち
  現在、私は、京都・大阪・兵庫に居住する勤労世代である20台~40台を中心とした社会人の囲碁コミュニティによく顔を出しています。
  このコミュニティは、基本的には、特定のメンバーで固定化された「サークル」のような組織ではなく、あくまで、一つ一つのイベントがある度に、その日その場に合わせてどこからともなく人が集まってくる、といったものです(そのため、この集まりのことを「コミュニティ」と呼んでいる人もほぼいません。イベントごとの名前を超えて、集まりに名前は無いのです。ただ、本稿では便宜上、これら個々のイベントに参加する潜在的な母体を「コミュニティ」と呼ぶことにします)。
  もともとは、関西棋院などプロの棋士の方々が主催した教室やイベント、あるいはそれぞれの地域の碁会所が初心者向けに開いた教室やお祭りなどで顔を合わせた同世代の方々が、囲碁を通して仲良くなり、次第に繋がりを作っていったようです。
  そこで仲良くなった仲間が、既存のイベントとは別の時・場所にて集まれる場を作ろうとしたのが、現在のコミュニティの形成に繋がっていきました。
  私自身の参加は、約2年半前、「昼間は陶芸教室をやっている場所で、持ち込みのおつまみで、お酒を呑みながら、ゆる~く囲碁を打とう」という趣旨のイベントが京都で行われていることを知り、顔を出し始めましたのが最初です。そして、イベントで仲良くなった方に、別のイベント(その時に聞いたのは囲碁教室主催の大会の情報でした)を教わり、次にそのイベントに行って、また更に輪が広がって、という経緯を経ました。
  今から振り返れば、その頃がまさに、この囲碁コミュニティの黎明期と言ってよい時期であったと思います。

(2)イベントの特徴
  個々に開催されているイベントの時間や場所は様々です。
  例えば大阪の天神橋筋商店街にあるカフェ&バーで、土曜日の午後に隔週で行われているもの(平均15~20名が参加)もあれば、京都の四条通り付近の町屋風のカフェでほぼ毎週水曜日の夕方~夜に開かれているもの(平均10名が参加)もあります。
  なお、開催は不定期ですが、『朝囲碁』と称し、勤務開始前の早朝に喫茶店などで開催されるイベントもあります(私も、修習で和光にいた際に、5時に起きて渋谷まで往復し、修習開始前に1時間『朝囲碁』を打ちにいきました)。
  こうしてみると分かりますが、場所がほとんど碁会所ではないのも特徴です。大半の活動場所は、はっきりとお店側から囲碁に理解をいただき、場所の提供をしてもらえる所で行っています(例えば、上記の大阪天神橋筋商店街のカフェ&バーは、囲碁のプロが経営しています)。
  これらのイベントは、イベント場所のゆかりは別として、主催者自体は囲碁のプロでも碁会所の関係者でもない一般の方によって担われています。毎回の顔なじみに加え、そこからの紹介や飛び入りの初心者を合わせて、気楽に仲間が集まり囲碁を打てる場として定着してきているのです。
  そこには囲碁の仲間を増やそうとする主催者の方々の思い入れも強く、囲碁の地味で難解なイメージを崩すため、カラフルな碁石や碁盤を使って視覚的な印象を変えたり、初心者用に小さめの碁盤(通常は19×19の格子のところを、9×9や13×13にしたもの。それぞれ9路盤、13路盤という。初心者の入門用に市販されている)を用意したりと、様々工夫が凝らされています。
  9路盤や13路盤で囲碁を打っても囲碁には異ならず、忙しい勤労世代にとっては、数分~数十分で手軽に気楽に楽しめる方法にもなっています。
  そして何より、どのような目的を持つ方も、その方が囲碁が好きで、あるいは興味をもって楽しく打てる人であれば、誰でも受け入れられるだけの器の大きさが囲碁にはあるようです。不思議と、囲碁を打つ人は素をさらけ出しやすくなってしまうようで、中には感情的になってしまうこともあります。しかし、同時に、相手への最低限の礼節の心があれば、自然と距離は縮まっていくのです(常に盤面を挟んでいるのに、不思議なことです)。それは、囲碁が「手談」と呼ばれるようになった所以かもしれません。

(3)コミュニティの参加者の特徴
  今では、関西のこうしたコミュニティに参加する人達の規模は、毎月どこかのイベントに顔を出す方(いわば「常連組」)で30~50人ほど、数ヶ月に一度は顔を出す方で100人を超え、毎年の大会にだけ必ず現れる方も含めるとさらに数百人もの母数が存在するものと思われます。(みなさん20台~40台の方の人数です)
  その構成も驚くところで、男女比はおおよそ6:4と女性も多く(最近は、「囲碁ガール」という言葉も生まれ、囲碁ガール向けのフリーペーパー「碁的」が発行されるなど、若い女性で囲碁を始めたいとしてイベントに訪れる方も多く見受けられます)、職業も自由業から会社勤めから経営者から様々です。
  そして、全体の8、9割が初心者~中堅層(低段者)であること、すなわち、もともと囲碁のプロを目指したり部活で真剣に没頭してきたりした人達ではない、「趣味」で囲碁を嗜んできた(あるいは嗜み始めた)方々が多いことです。

  こうした方々の多くは、かつて「ヒカルの碁」をマンガで読み、あるいはアニメで見るなどして興味をもった人、そしてそうした人に誘われてきた友人知人が大半のようです。
  囲碁に興味はあったものの、ルールを教えてくれる人がいない、打つ相手がいない、敷居が高い……そうしてこれまで壁を越えられなかった人々が、いま、こうしてルールを教えてもらい、共に楽しめる仲間を見つけ、居場所を見つけて、壁を乗り越えているのです。

(4)充実の囲碁ライフへ!
  もともとは、普段の仕事も経歴も含めバックグラウンドのバラバラの人たちが、囲碁という共通の興味関心を通して、そして最近はSNSによる情報共有を介して、次第にそのコミュニティを広げていっています。
  約3年前には、囲碁を打てる友人が身近に2人や3人しかいなかった私も、この2年半で100人を超える人と、少しの時間さえ作れば、いつでも趣味を共にすることができます。
  日々、職場と家庭を往復するばかりの勤め人が、家にいながら通勤しながらでもSNSを通して同じ趣味の人と交流し、そして、自分のライフスタイルに合わせて、仕事の前、休日、仕事の後など、可能な時間に可能な範囲で、気の許せる仲間と酒を飲み笑い話をしながら囲碁を打つ……そんな勤労世代の囲碁ライフ、皆さんも一度覗いてみてはいかがでしょうか。

道田  旭彦(2016年11月28日記)


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