No Gymnastics, No Life
1 はじめに
はじめまして,弁護士の森田浩輔と申します。
本ブログ記事をご訪問くださり,ありがとうございます。
最初に申し上げておきますと,この記事は私の趣味である「器械体操」という競技の話を恥ずかしげもなくさらけ出す記事となっております。ご興味のある方は最後までお読みいただければ,体操競技というものを見る目が変わるかもしれません。ひょっとしたら弁護士を見る目も少し変わるかもしれません。
それでは,私が愛して止まない体操競技(「Gymnastics(ジムナスティクス)」)についてお話します。
2 体操競技とは
皆さんは,体操といえばどんなイメージをお持ちでしょうか。
体操といえば,内村航平選手や白井健三選手を思い浮かべる人も多いかもしれません。彼らはここ数年,目覚ましい活躍によって大きくメディアに取り上げられることもしばしばで,そのおかげで体操競技をテレビでみる人も増えたのではないでしょうか。
もっとも,私のようなホビープレイヤー側の人間からすれば,彼らは,いわゆる「化物」の類であり,とくに内村選手は「キング・オブ・ジムナスト」という神の領域に達した何かと言っても過言ではありません。
ちなみに,「Gymnast(ジムナスト)」とは体操選手のことで,本格的な体操競技をしていなくとも,小中学校の体育の授業ででんぐり返しや鉄棒で逆上がりをしたことのある皆さんは,すでに「ジムナスト」を経験しているのです。
体操をテレビでみたことある方ならお分かりになられると思いますが,トップレベルの選手は,いともたやすく技を行なっているように見えないでしょうか。そう,見えるんです。しかし実際は,簡単にはできない高難度の技ばかりです。見ている人には「ガンバっている感」が伝わらないというスゴさ。それが体操競技の醍醐味の一つだと私は思っています。
元日本代表,冨田洋之選手がアテネオリンピックで吊り輪の演技をした時のことです。高難度の力技の連続で普通なら顔が強ばってしまうところ,演技中の冨田選手について解説者はテレビでこう表現していました。
「部屋でくつろいでいるかのような涼しい表情」
日本の体操の象徴ともいえる冨田選手や内村選手,田中佑典選手の行う「美しい体操」。難度を追求しながらも美しさを妥協しない,そこに日本の体操が世界に誇れる強みがあります。
また,体操競技の大会には,個人戦と団体戦があります。体操は個人競技と思われるかもしれませんが,実は団体競技的側面も強くあります。団体のメンバーは一つのチームとして戦っています。そこにはどの種目に誰を出すかといった戦略的な面もあれば,一人一人が自分の演技を次の演技者に「つなげる」といった連帯感,リレーや駅伝でいうバトン・タスキのような意識が強く存在します。団体金メダルを獲得したオリンピック(2004年アテネや2016年リオ)では,選手・コーチらの一体感はテレビを通して観る側にも伝わっていました。
このように,プレイヤーとしての体操のおもしろさの一つに,そのチームとして盛り上げていく連帯感や高揚感みたいなものがあるといえるでしょう。
2 私と体操競技との出会い 〜えっ?始めるの遅くない?〜
私が体操を本格的に始めたのは,大学生からでした。
こう言うと,「大学から体操?よく始めようと思ったね」とよく言われます。
小さい頃から,マット運動や跳び箱,鉄棒といった体育の授業が大好きでした。ただ,まわりに体操を始められる環境はなく,きっかけもないまま大学まできてしまったのです。
もっとも,高校には男子新体操部というこれまた非常に稀有なスポーツがあり,そこに入部し,床のアクロバットは男子新体操という競技の中でいくつか身につけました。ここで男子新体操について詳しく紹介すると収拾がつかなくなってしまうので控えめに留めますが,マイナースポーツではあるものの,その雄大さと美しさは観る者を楽しませ,そして感動させる魅力をもつ素晴らしいスポーツです。YouTubeにも多数動画が投稿されているので,興味のある方はぜひ「男子新体操」で検索していただければと思います。
大学で器械体操と出会った私は,大学で体育会か…という若干の躊躇いを感じつつも,すぐに体操の楽しさにとりつかれるとともに引き際を見失い,飲み会での先輩の熱い期待の言葉に涙を流しながら感動するなどして,結果的に4年間つづけることができました。
3 引退後も体操を続けている理由 〜ある大会での経験〜
部活を引退し,大学卒業後,ロースクールに進学してからも,大学時代の練習環境や練習仲間がまわりにいたこと,勉強の息抜きに運動をしたほうがいいという判断から,月に1,2回は体操の練習を続けていました。
やっぱり楽しい。そう思い,体操を辞める理由はありませんでした。
大学卒業後も体操を続けている先輩方が出ている社会人大会というのがあるらしい。現役の頃からそんな噂は聞いていました。ただ,引退後も試合に出るのは大変そうやし,あの人たちは体操バカの頭のおかしい人たちだと半ば思っていたので,社会人大会のことはほとんど気にもしていませんでした。
そんな折,社会人になってからも体操を続けている先輩方に,「一回出てみよ,めっちゃ楽しいから」と誘われ,受験勉強の合間に練習し,誘ってくださった先輩方とチームを組んで試合に出てみることにしたのです。
久しぶりの大会でした。けれどそこは現役時代に出ていた大会とは全く違う世界でした。学生の大会のようなヒリヒリした緊迫感はほとんどなく,笑顔で体操を楽しんでやっている人たちしかそこにはいないのです。遠方同士のメンバーでチームを組み,1年の間でその日だけ会って再会を喜びながらともに体操をする人たち。50代,中には60代で宙返りや車輪を披露する往年の体操選手たち。
そこは,体操を愛し,体操を楽しむことしか考えていない人たちがつくるお祭りのような空間だったのです。
彼ら彼女らの第一目標は,ケガをせずに帰ること。ケガをしないための一番の選択肢は体操をしないこと,のはずですが,大会参加者の中にはそんな選択肢をもっている人はいないようでした。
そんな大会の雰囲気の中,体操を思いっきり楽しむ自分のチームの雰囲気とそこでする体操が楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。現役の頃は,部員の少なさから団体を組んで大会に出たことがなかった私は,自分の演技にも期待してくれている仲間がいて,その期待に演技で応える,すると目一杯喜んでくれる,そんなチームの存在が本当に嬉しくて,この大会に出させてくれたメンバーへの感謝の気持ちが溢れ,試合の途中にもかかわらず涙を流すほどでした。
社会人で大会に出る喜びを知った私は,体操を続けよう,50歳になっても大会に出て宙返りをしよう,と人生の目標を立て,今に至ります。
4 体操をやっていて良かったと思うこと
体操を通して,今ではかけがえのない人とのつながりをもつことができ,これからも体操を通したつながりが広がっていくという予感があります。
昨夏,埼玉県和光市の研修所で修習生活を送っていた1月半。その間に関東の大学の体操部で外部からの練習参加を受け入れてくれるところを探しました。結果,2つの部活で練習に参加させていただくことができました。そこで出会った方に,さらに別の練習場所を教えてもらい,そこに行ってまた知り合いを増やす…。こんなことをしている間に,1月半の間に,まったく縁のなかった関東でも多くの体操の知り合いができました。これは,自分から積極的に働きかけて人とのつながりを増やすことに深い喜びを感じた経験でした。
体操は,繊細なスポーツです。豪快な技も,一瞬,わずかな感覚のズレが失敗につながります。そのため,体操の練習はその感覚のズレをなくすための鍛錬であり,それは自分と向き合う作業になります。
技の理想のイメージを具体的にもち,その理想と自分の現在の到達度との差を認識し,その差の原因,自分に足りないことは何か,それを埋めるために必要な練習は何か,といった(実は)緻密な思考の段階を経ながら,それを練習に反映させ,一つの技を完成させていきます。具体度の差こそあれ,体操選手のほとんどはそのようなことを考えながら練習していると思います。自らを見つめ直し分析できるということは,自分の謙虚さにもつながると思っています。
あとは,健康ですね。健康が一番。運動をする習慣があるということは,元気に仕事を続けていくにあたって,何よりも強みです。
5 これからの体操人生 〜体操歴10年の節目に思うこと〜
現役を引退後,それまでより体操に打ち込むことはできなくなりましたが,自由に楽しむ発想から新しい技にチャレンジしたり,多少期間が空いても継続的に練習することで現状は維持できたり,種目によっては学生のピーク時より成長できたりもしています。
10年続けられたのはやっぱり体操が好きだから。
じゃあ,もうあと10年続けられるはず。20年続けられたらじゃあ30年…とそんな単純な話ではないはずなのに呑気にそんな風に思えていることが,今心の底から体操できる幸せを感じている証なのでしょう。
6 おわりに
長々と自分の体操への思いを語ってきて,お気を悪くされた方がいたらすみません。
ここまで読んでくださっている方がいるのかどうかもわかりませんが,これを読んでくださった皆さんが,私の経験から体操に何か今までになかったものを感じてくださったら幸いです。
私の体操愛の過剰さが気持ち悪いということしか伝わらなかったとしたら(その感想を否定できませんが),それは,体操の魅力を伝える私の筆力の問題であります。
乱文ながら以上,体操の魅力にとりつかれた一人の人間の独白でした。