憲法9条改正案について、国民に必要かつ十分な情報を提供し、国民的な熟議の機会を保障するよう求める決議(2018年5月31日)


  日本国憲法は、前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という決意の下、平和的生存権を謳い、9条で国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使を放棄し、戦力の不保持と交戦権の否認を定めるなど、世界において最も徹底した恒久平和主義をその基本原理の一つとしている。この前文と9条は、第二次世界大戦後、わが国が一度も他国と戦争をすることなく平和と繁栄を築き、国際社会において高い信頼を得るために、大きな役割を果たしてきた。
  今般、憲法9条1項、2項を残しつつ、「自衛隊」や「自衛の措置」を明記する憲法9条改正案が提唱されている。この改正案について、憲法9条1項、2項が残っている以上、これまでの解釈や運用は何ら変わらないとの説明がなされているが、以下に述べるように多義的な解釈がなされる可能性があることから、憲法の基本原理である立憲主義に反し、恒久平和主義に変容をもたらすのではないかという疑義がある。

1  2014年(平成26年)7月1日の集団的自衛権の行使を一部容認する閣議決定、及びそれを踏まえて    2015年(平成27年)9月19日に制定された安保関連法制によって、従来の政府解釈は変更され、2016年(平成28年)3月29日同法制の施行に伴い、自衛隊には存立危機事態における集団的自衛権の行使に関する任務が付与され得ることとなった。当会は、この閣議決定や安保関連法制は、立憲主義を否定し、憲法9条に違反するとして反対の立場を表明してきたところである。
今般の憲法9条改正案により、自衛隊の任務と権限の範囲が個別的自衛権に限定されるのか、それとも存立危機事態における集団的自衛権まで行使可能であるかどうかは明らかになっていない。立憲主義の立場からは、憲法に自衛隊を明記するのであれば、自衛隊の任務と権限の範囲を明確にする必要がある。この点が明確にされないまま憲法改正の発議がなされるとすれば、前記閣議決定や安保関連法制の違憲性は払拭されないままとなり得る。
2  また、今般の改正案によって憲法9条1項、2項を残しながら「自衛の措置」が明記された場合、自衛隊がいかなる範囲の自衛権を行使することが可能であるのかが明確ではない。個別的自衛権や存立危機事態における集団的自衛権のみならず、それ以外の場面でも集団的自衛権を行使することが容認され得るとの解釈がなされる可能性がある。そうすると、政府がこれまで維持するとしてきた専守防衛政策に根本的な変化をもたらし、現行憲法の恒久平和主義の内実に変化を生じさせる可能性がある。
3  これまでの政府解釈では、自衛隊は必要最小限度の実力組織であって憲法9条2項にいう「戦力」には当たらないから憲法に違反しないと説明されてきた。しかし、憲法9条2項を残しながら「自衛隊」が明記されると、憲法9条2項の例外として、「戦力」としての「自衛隊」を保持することを容認する解釈が成り立ちうる。

  以上のように、今般の憲法9条改正案によって何が変わり、何が変わらないのかは、多義的な解釈が可能であって明確ではないことから、時の政府による解釈の裁量を広範に認めることにもなる。当会は、憲法改正の発議がなされる前に、これらの問題意識を含めた憲法9条改正案に関する情報が国民に必要かつ十分に提供され、国民的な熟議の機会が十分保障されるよう求める。
  また、当会は、日本国憲法の基本原理である立憲主義を堅持し、恒久平和主義を尊重する立場から、国のあり方の根本を左右する憲法9条改正案について、国民一人ひとりがその問題点を十分理解して議論を深めることができるよう、自らの使命と責務を果たす決意である。
  以上、決議する。

提  案  理  由

1  憲法9条改正案
2017年(平成29年)5月3日、安倍晋三自由民主党(自民党)総裁は、民間団体主催の集会に寄せたビデオメッセージ及び読売新聞のインタビューの中で、憲法9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明記するという憲法改正構想を公表した。その後、自民党憲法改正推進本部で議論が進められ、条文イメージ(たたき台素案)がまとめられた。憲法9条改正の具体的な素案(以下「改正素案」という。)は、以下のとおりである。
「第9条の2  前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
2  自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」
この改正素案について、安倍晋三総裁(首相)や細田博之自民党憲法改正推進本部長から、9条1項、2項はそのまま残るのであり、自衛隊の解釈や運用は変わらない旨の説明がなされている。
しかし、憲法9条1項、2項を残したままで提案される今般の改正素案は、自衛隊のあり方について多義的な解釈が可能となる内容であるため、政府の権限を縛るという立憲主義の立場や世界において最も徹底した恒久平和主義の観点から問題がある。以下、3点の検討すべき課題について述べる。

2  2014年(平成26年)7月1日閣議決定及び安保関連法制との関係性
(1)自衛権に関する従前の政府見解
  政府は、「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置」をとることまで禁じていないとした上で、この「自衛の措置」をとることができる要件として、①わが国に対する急迫不正の侵害があり、②これを排除するために他の適当な手段がない場合に、③必要最小限度の範囲に限られると解釈してきた。そのため、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、①の要件を満たさず、憲法上許されないとされてきた(「集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料」(1972年(昭和47年)10月14日参議院決算委員会提出資料))。
(2)2014年(平成26年)7月1日閣議決定と安保関連法制
  2014年(平成26年)7月1日、政府は、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を閣議決定し、上記「自衛の措置」①の要件を変更して、「我が国に対する直接の武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合(存立危機事態)」にも、自衛のための措置をとることが憲法上許容されると解釈するに至った。
この閣議決定に基づいて、2015年(平成27年)、「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」及び「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案」(以下この2つの法案をまとめて「安保関連法制」という。)が国会に上程され、同年9月19日に成立した。そして、2016年(平成28年)3月29日安保関連法制が施行され、同法に基づき、存立危機事態における武力行使権限、PKOでの駆け付け警護、宿営地共同防護、米軍等の武器等防護などの新たな任務や権限が自衛隊に付与されることとなった。
(3)当会の見解
  当会は、2014年(平成26年)7月1日の閣議決定がなされる前後に、集団的自衛権を容認する「解釈」改憲は立憲主義を否定・破壊するものであり、到底容認できないと主張してきた(「安全保障を巡る憲法問題と立憲主義の危機に関する会長声明」(同年6月10日)、「立憲主義を否定・破壊する閣議決定に断固抗議する会長声明」(同年7月24日))。
そして、その後も、安保関連法制について、その違憲性を指摘して反対の立場を貫いており(「集団的自衛権の行使等を容認する閣議決定に基づく法整備に断固反対する会長声明」(2015年(平成27年)5月1日)、「安保関連法案の採決強行に抗議する会長声明」(同年7月16日)、安保法制の参議院での採決に強く抗議する会長声明」(同年9月19日)、「安全保障関連法の施行に強く抗議するとともに、その廃止を求める会長声明」(2016年(平成28年)3月29日))、その成立前後から円山野外音楽堂での市民集会や毎月1回の街頭宣伝などで市民に対し廃止を訴え続けている。
(4)違憲の閣議決定・安保関連法制と改正素案との関係性
  改正素案によって、かかる違憲の閣議決定や安保関連法制の下で新たな任務が付与された自衛隊が憲法上明記されることになる。安倍総裁(首相)は「自衛隊の違憲論争に終止符を打つ」と述べており、このような立場からは憲法9条1項、2項がそのまま残されているもとで新たに改正素案が加わると、安保関連法制後の存立危機事態における集団的自衛権の行使が可能な自衛隊が承認されることになり、前記閣議決定や安保関連法制の違憲性が解消されることになるとの解釈が可能となる。しかし、他方で憲法9条1項、2項がそのまま残される以上、改正素案が加わるだけでは、前記閣議決定や安保関連法制の違憲性を払拭することはできないと解釈する立場も考えられ、多義的な解釈がなされる可能性がある。日本国憲法の採用する立憲主義の立場からは、憲法に自衛隊を明記するのであれば、いかなる場合にどのような範囲において自衛権の行使が可能であるのか、自衛隊の任務と権限の範囲を明確にする必要がある。この問題について、法的整理がなされないまま、前記改正素案の内容で憲法改正の発議がなされるとすれば、前記閣議決定や安保関連法制の違憲性が払拭されないままとなり得る。

3  恒久平和主義の内実に変化を生じさせる可能性
(1)政府の専守防衛政策
  「専守防衛」とは、相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、日本国憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう(防衛省ホームページ)。安保関連法制が施行されている現在においても、政府は専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針であるとする姿勢を崩していない(平成29年版防衛白書)。
  また、前述のとおり2014年(平成26年)7月1日の閣議決定及び安保関連法制の施行によって、存立危機事態における集団的自衛権が行使され得ることになったが、政府は、この武力の行使について、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合があるが、憲法上はあくまでもわが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものと説明している(平成29年版防衛白書)。
(2)専守防衛政策の変化に伴う恒久平和主義の内実の変化の可能性
  一方、改正素案では、「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず」と規定されている。ここにいう「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つため」は、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」という存立危機事態よりも広い概念であると解釈することが可能であり、必要最小限度という文言が削除されたことを踏まえると、制限のないフルスペックの集団的自衛権の行使も「必要な自衛の措置」として認められる可能性がある。そうすると、わが国の防衛にとどまらない武力行使が認められる可能性が出てくるのであり、専守防衛政策に根本的な変化をもたらす可能性がある。それに伴い、自衛隊の実態や運用にも変化をもたらし、現行憲法の恒久平和主義の内実に実質的な変化を生じさせるおそれがある。

4  改正素案で明記される「自衛隊」と憲法9条2項の「戦力」との関係性
(1)政府解釈
  政府は、憲法9条によっても自衛権は否定されず、自衛のための必要最小限度の武力の行使は認められると解した上で、同条2項が「戦力」の保持を禁止していることについて、自衛のための必要最小限度の実力を保持することまで禁止する趣旨のものではなく、これを超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると解している(衆議院議員森清君提出憲法第九条の解釈に関する質問に対する答弁書(1980年(昭和55年)12月5日))。そして、自衛隊は必要最小限度の実力組織であるから憲法9条2項の「戦力」に該当しないと説明してきた。
(2)「自衛隊」と「戦力」との関係性
  上述したように、改正素案によって、自衛隊は制限のないフルスペックの集団的自衛権を行使することが可能になる余地が出てくる。こうした任務と権限が付与された自衛隊が憲法9条の2で新たに明記された場合、それでも必要最小限度の実力組織であって、憲法9条2項の「戦力」には該当しないという解釈があり得る。他方、改正素案には「必要な自衛の措置をとることを妨げず」という文言があることを、憲法9条の2は憲法9条の例外規定と捉え、自衛隊は「戦力」に該当するという解釈も可能である。改正素案のように「自衛隊」が明記されることによって、憲法9条2項の「戦力」との関係性が憲法解釈上重要な意義を持ってくるのであり、国民に対して十分な説明が求められる。

5  まとめ
  憲法9条の改正は、日本国憲法の基本原理の一つである恒久平和主義に深く関わるものであり、国のあり方の根本を左右するものと言っても過言ではない。しかし、上記で述べたとおり、改正素案の内容では、自衛隊の何が変わり、何が変わらないのかについて、多義的な解釈が可能であり、時の政府による解釈の裁量を広範に認めることになり、立憲主義の立場から問題である。現時点において、このような問題意識について国民の間に十分な議論がなされているとは言えない。最終的には、国民投票によって憲法を改正するか否かが決せられるのであるから、国民一人ひとりが憲法改正案の内容を十分に理解し、じっくり時間をかけて議論を積み重ねていくプロセスが必要となる。したがって、当会は、このような検討課題を含めた憲法9条改正案に関する情報が、憲法改正の発議がなされる前に国民に必要かつ十分に提供され、国民的な熟議の機会が十分保障されることを求める。
  また、当会は、日本国憲法の基本原理である立憲主義を堅持し、恒久平和主義を尊重する立場から、わが国のあり方の根本を左右する憲法9条改正案に関する検討課題について分析・検討を加え、様々な手段・方法でわかりやすく情報発信し、国民一人ひとりがその検討課題を十分理解して議論を深めることができるように努め、自らの使命と責務を果たす決意である。

2018年(平成30年)5月31日

京  都  弁  護  士  会

会長  浅  野  則  明


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