保護観察所で実施されている簡易尿検査を用いた保護観察処遇に関する申入書(2004年8月27日)


2004年(平成16年)8月27日

法務省保護局長    津  田  賛  平  殿
京都保護観察所長  榎  本  正  也  殿

京都弁護士会

会  長    彦  惣      弘



申  入  書



申 入 の 趣 旨


  2004年4月1日から保護観察所で実施されている簡易尿検査を用いた保護観察処遇については、以下の点で妥当ではないので、すみやかに中止し、根本的に見直されるべきである。

申 入 の 理 由


1  簡易尿検査を用いた保護観察処遇の概要
  2004年4月1日から、全国の保護観察所において実施されている簡易尿検査を用いた保護観察処遇(以下「本件処遇」という。)とは、2004年2月5日付法務省保観第64号「簡易尿検査を活用した保護観察処遇の実施について(通達)」(以下「通達」という。)、同日付法務省保観第65号「『簡易尿検査を活用した保護観察処遇の実施について』の運用について(通知)」(以下「通知」という。)によれば、以下のようなものである。
  覚せい剤取締法違反により受刑し、仮出獄した者に対して、覚せい剤を使用していないことを示す結果を積み重ねて達成感を与えることにより断薬意志の維持及び促進を図ることを目的として、本人の自発的意思に基づく簡易尿検査を実施するというものである。
  具体的には、対象者に対して、保護観察官が目的を説明した上で、陽性反応が出た場合には自ら警察署に出頭し、出頭しない場合には保護観察官から警察署に通報されても異存はない旨の書面(同意書)に署名をさせる。そして、あらかじめ決めた実施回数、頻度により、保護観察所に出頭した際に所内で簡易尿検査を実施する。検査結果が陰性の場合には対象者の断薬努力を讃え、激励する。他方、検査結果が陽性の場合には、対象者が自ら出頭するように促し、最寄りの警察署まで保護観察官が同道し、対象者が自ら出頭しない場合には保護観察官が警察に通報する。
    この本件処遇については、以下のような問題点があると考える。

2  本件処遇の問題点
(1)簡易尿検査の事実上の強制
    本制度は、対象者に対し事実上、簡易尿検査を強制するものである。
  本件処遇の対象者は覚せい剤取締法違反により受刑し、仮出獄した者である。対象者は、刑の終期が経過するまで、一定の住居に居住し正業に従事すること、善行を保持すること、犯罪性のある者又は素行不良の者と交際しないこと、転居や長期旅行をする場合あらかじめ許可を求めることといった一般遵守事項(犯罪者予防更生法34条2項)、および地方更生保護委員会が特に定めた特別遵守事項(同法31条3項)を守る義務を負う。これらの遵守事項を対象者が守らない場合には、保護観察所長の申請および地方更生保護委員会の審理によって仮出獄が取り消されることがある(同法44条、刑法29条1項4号)。そして、保護観察官は保護観察等の事務に従事する者であり(同法19条2項)、仮出獄の取消事由となる遵守事項違反について把握して保護観察所長に報告する立場にある。
  このように、保護観察官と対象者は保護観察を行う者と受ける者という上下関係にあり、しかも、仮出獄の取消の端緒を握る者とその不利益を受けるかもしれない者という関係にある。対象者としては、社会内での自由な生活を継続するため、保護観察官の顔色をうかがい保護観察官の覚えがよくなるよう努力することは充分に考えられることである。このような上下関係に拘束された対象者としては、保護観察官から本件処遇への取り組みを積極的に促された場合、これを拒絶することは事実上困難である。
  この点、本件処遇において、簡易尿検査は、「あくまで対象者本人の自発的意思に基づいて行われるもの」(通達、通知)とされており、通知において、「検査を行うことに関する最終的な判断は本人自身に委ねられ、検査を行う意思を示さない対象者に対し、これを強制することや、処遇上不利益な扱いをすることは許されない」とされ、保護観察官が、簡易尿検査を行うか否かは対象者の自由意思に委ねられていることや検査を拒否したことによって処遇上不利益な扱いを受けることはないことなどについて本人に正しく理解させた上で、同意書に署名させることとされてはいる。しかし、他方で、通達によれば、保護観察官は対象者自身が簡易尿検査に積極的に取り組むよう促すものとされている。このように相反する説明を保護観察官が十分に行うことは困難であり、対象者が簡易尿検査を受けるか否かを任意に選択できるものであると正しく理解しないまま、保護観察官に強く勧められて自発的意思に基づかずに署名してしまうおそれが高い。
  しかも、京都保護観察所において通知を具体化する2004年3月29日付実施細則によれば、保護観察官が対象者に「覚せい剤をやめるための尿検査のすすめ」と題する書面を交付して説明することとなっているが、この書面は「保護観察所では、・・・定期的に尿検査を受けてもらっています。」と尿検査を受けるのが当然であるかのような書き出しで始まっており、一番最後に注意書きとして「この検査は、保護観察所が強制するものではなく、あなたの自主的な判断により実施するものです」と書かれてはいるものの、その文章も「が、自分自身のためにも積極的に受けるようにしてください。」と締めくくられている。これを全体として見れば、対象者の自由な自発的意思に委ねられていることや検査を拒否したことによって処遇上不利益な扱いを受けることはないことなどを正しく理解させるものとは到底言えない。
  さらに、京都保護観察所の実施細則によれば、保護観察官は、対象者が尿検査に同意しなかった場合には同意しない理由を面接票に記載することとなっている。しかし、同意しない理由を明らかにしなければ拒否できないような状況における同意は、自発的意思に基づくものと言うことはできない。
  このように、本件処遇は、保護観察官と対象者との関係の上からも、対象者への説明方法からも、対象者に簡易尿検査を事実上強制するものであって許されない。
(2)不利益処分の事実上の強制
  本件処遇においては、「検査結果が陽性の場合には、保護観察官は、対象者に対し、警察へ自ら出頭するよう説得し、対象者がこれに応じないときは、警察に通報する」手続を取る(通達、通知)。簡易尿検査において陽性反応が出た直後に警察署に出頭した場合、必然的に尿の任意提出を求められることになろう。たとえ、出頭を拒否し、あるいは、尿の任意提出を拒否したとしても、本件処遇において陽性反応が出た旨の保護観察官の供述調書ないし捜査報告書等により強制採尿令状を得て強制採尿されることは十分に考えられる。そして、尿の鑑定において陽性反応が出れば、新たな覚せい剤使用について刑事処罰を受けることになり、仮出獄も取り消されることとなろう。
  とすれば、出頭を拒否しても通報される以上、対象者は進退窮まる立場に追い込まれ、事実上出頭することを強制され、その結果、刑事処罰や仮出獄の取消といった重大な不利益処分を受けることになる。また、仮に出頭を拒否したとしても、やはり刑事処罰や仮出獄の取消につながる。結局、本件処遇は、事実上不利益処分を強制するものであって許されない。
(3)自己負罪拒否特権の侵害の危険性
  本件処遇においては、対象者が警察署への出頭にその場で同意した場合には保護観察官が警察署へ同行し、対象者が出頭を拒否した場合には保護観察官が警察署へ通報することになっている。
  そもそも憲法38条1項により保障されている自己負罪拒否特権とは、「自己に不利益な供述を強要されない」という権利である。これを「供述」に関するものと考えれば警察署への出頭という「行動」とは無関係とも思われる。しかし、本件処遇で予定されているのは「簡易尿検査において陽性反応が出た場合の警察署への出頭」であり、実質的には捜査機関に対して自己の犯罪事実を申告しその処分に委ねる意思表示を当然に含むのである。とすれば、このような意思表示を強制することは、実質的には「自己に不利益な供述を強要」することになる。
  したがって、本件処遇は、先に述べた事実上の強制ともあいまって、対象者の自己負罪拒否特権を不当に侵害する危険性が高いものとして許されない。

3  薬物依存症の回復に向けた尿検査の活用方法
(1)薬物依存症からの回復についての基本的な考え方
本件処遇における、定期的に尿検査を行い、陽性になった場合は警察に通報することで覚せい剤の再使用を防ぐという方法は、対象者を威嚇して覚せい剤の再使用を防ごうという考え方に基づくものであるが、このような考え方に基づいて覚せい剤事犯を防ぐことはできないとの指摘に耳を傾ける必要がある。覚せい剤を繰り返し使用することは、単に犯罪というだけでなく、「薬物依存症」という病気であることが正確に理解されなければならない。
依存症になってしまう背景には、覚せい剤に逃避しなければ生きていけないという生き辛さがある。覚せい剤事件の被告人の多くは、対人関係を築けないこと、貧困、ドメスティックバイオレンスや虐待の被害などの問題を抱えているが、それが覚せい剤で一時だけ楽になるから使用するのである。
薬物依存に詳しい精神科医の奥井滋彦氏によると、依存症が進行する過程は次のようなものだという。「もともとの薬物乱用開始には、生き辛さの自己治療的側面があります。不安緊張感・抑うつ感の軽減、意欲の賦活、ときにはPTSD、統合失調症等の症状を抑制するために使用されることもあります。救われる効果が大きい程に乱用は進み、一方で耐性が生じ、乱用が進む程に薬理効果は軽減していきます。軽減する薬理効果を追って乱用を繰り返すうちに、強迫的使用に陥り、依存症は形成されていきます。意志でコントロールすることは不可能な状態です。」  (精神科医から見た薬物依存・薬物犯罪/奥井滋彦、京都弁護士会刑事弁護ニュース33号)。
上記からわかるとおり、刑罰がいやなら覚せい剤をやめなさい、意志を強く持ちなさいと迫っても何らの解決にもならないのである。覚せい剤から離れるためには、その生き辛さの原因を探り、抱えている症状を除去・軽減し、覚せい剤に逃避しなくてもよいように援助を行うことこそが必要なのである。
(2)保護観察所の役割との矛盾
保護観察所は保護観察を行う機関であるが、保護観察の目的とは、保護観察に付されている者に遵守事項を遵守するよう指導監督すること及びその者を補導援護することによってその改善及び更生を図ることである(犯罪者予防更正法第33条)。そして、その補導援護の方法とは、医療及び保養を得ることを助けること(同36条1項2号)、環境を改善し、調整すること(同5号)、社会生活に適応させるために必要な生活指導を行うこと(同7号)によるのである。
すなわち、覚せい剤の事件については、覚せい剤を使わないように指導監督することに加えて、対象者の環境を調整し、医療や自助グループにつなぐなどの援助を行い、その結果として再犯を防ぐことこそが保護観察所に求められている活動である。そのためには、保護観察官と対象者は深い信頼関係を築き、保護観察官は自ら、また保護司を通して対象者に深く関わっていかなければならない。
しかし、保護観察所で尿検査を行うことは、陰性の場合に覚せい剤を使用しないことを評価して達成感を与えるという目的のみで行われるのであればよいが、検査結果が陽性になった場合、医療などへの援助を提供せず、警察に通報するという義務を保護観察官に負わせると、結果として薬物事犯の再犯者検挙の便宜だけが図られることになるし、対象者もそのために行うものと受け取ることになる。
そうすると、保護観察官と対象者が援助者と被援助者ではなく、捜査官と被疑者という対立関係に立ってしまい、対象者との間で援助的な関わりを持つことができなくなってしまう。このことは、現場の保護観察官の本来の業務を阻害することにもなり、保護観察の目的に反することになるのである。
(3)仮に尿検査を行うとしたら
前述のとおり、薬物依存症の回復方法として、警察への通報を威嚇に使うような方法は本質的に誤りである。アメリカでは、1980年代中頃から薬物事犯が急増し、その対策として警察、裁判所、刑務所を強化して厳罰で対応しようとしたが、薬物濫用やそれに伴う犯罪行動の現象には効果が上がらなかった。そこで、薬物事犯に対して刑罰で威嚇するのではなくトリートメント(治療・処遇)で更生させようという考え方のもとに、各州において多数のドラッグコートが設立されてきたのである。
ドラッグコートにおいては、薬物関連事件の被告人が希望すれば、刑事処分の代わりに治療やソーシャルサービスが提供され、その期間中に薬物の再使用を行ったとしても新たな処罰の対象とはされず治療のきっかけとして活用され、無事にトリートメントを終了すれば公訴棄却がなされるという形で運用されており、再犯防止に一定の成果をあげている。また、その結果として司法、矯正にかかる費用も節約できているとのことである。諸外国でも同様の制度が成り立ちつつあるが、それに学ばなければならない。
仮に尿検査を行うのであれば、保護観察所が警察への通報と結びつけて行うのではなく、病院等が行うべきである。そして再使用が発見された場合は、解毒のために数週間精神病院へ入院させ、その後に自助グループにつないだり、また覚せい剤を使用してしまった原因をカウンセリングによって探り、その除去の援助をしたりといった方法で運用されるべきである。
すなわち、尿検査は、援助のための介入を行うきっかけとして、覚せい剤の再使用があったことを知るために行うという形で運用されなければならない。警察への出頭の事実上の強制や通報と結びつけられてはならないのである。

4  まとめ
  以上のとおり、本件処遇は対象者の自発的意思に基づくとしつつも強制の側面を含むものであり、警察署への出頭を事実上強制される点で実質的に自己負罪拒否特権を侵害するに等しいものである。覚せい剤の自己使用を繰り返す者に対する対策としては、監視や処罰による威嚇が無力であることは、刑務所への再入所率の高さからも明らかであり、むしろ依存症からの回復というアプローチにより覚せい剤の反復使用に至った原因を取り除くことが有効である。尿検査を活用するとしても、それを新たな処罰の契機とするのではなく、依存症からの回復のための手段として活用すべきである。
したがって、本件処遇はすみやかに中止し、根本的に見直されるべきである。

以  上


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