「消費者契約に関わる法規範を民法に取り込む際に留意すべき事項についての意見書」(2010年8月26日)


2010年(平成22年)8月26日


内閣総理大臣  菅      直  人  殿
法務大臣  千  葉  景  子  殿
内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)  荒井  聰  殿
消費者庁長官  福  嶋  浩  彦  殿
消費者委員会委員長  松  本  恒  雄  殿
法制審議会会長  青  山  善  充  殿
法制審議会民法(債権関係)部会部会長  鎌  田      薫  殿

京  都  弁  護  士  会

会長  安  保  嘉  博


消費者契約に関わる法規範を民法に取り込む際に

留意すべき事項についての意見書


第1  意見の趣旨

1  消費者契約法の法規範を民法(債権法)に取り込むことについては反対である。
  2  仮にこれが取り込まれる場合には,消費者保護の観点から,下記の点につき実現すべきである。
  (1)民法においても,当事者間の格差を踏まえた法解釈がされるよう,消費者契約法の解釈準則として用いられている基本理念(現行消費者契約法1条)に相当する条文を規定すること。
  (2)消費者契約法の実体法規定の統合化・一般法化の具体的内容については,下記のとおりとすること。
    ①  消費者契約に関する不当条項に関して,個別の交渉を経て採用された条項を適用除外としてはならないこと。
②  信義誠実の原則に反する勧誘行為に対しては消費者に取消権を付与する等,不当勧誘規制の一般条項を設けること。
③  不実表示の規定に関して,消費者契約において,事業者が,消費者によってなされた不実表示を理由として契約を取り消す場合については,(例えば消費者の故意を要件とするなど)制限を加えるべきこと。

第2  意見の理由
  1  はじめに
平成21年4月,法務省経済関係民刑基本法整備推進本部参与で法制審民法(債権関係)部会委員である内田貴氏らを中心とする民法(債権法)改正検討委員会は,『債権法改正の基本方針』(別冊NBL126号,以下「基本方針」という。また,以下【1.1.1】等で示されている番号は,「基本方針」の「提案」中の該当条文番号を指す。)を公表した。そして,平成21年11月24日,法制審議会民法(債権関係)部会第1回会議が開催され,現在も,答申に向け,この「基本方針」をベースとした議論がなされている。

  2  消費者契約法の規範を民法に取り込むべきではない(意見の趣旨1について)
この「基本方針」は,債権法の分野のほぼ全てにわたる,量的にも膨大な,かつ,質的にも大幅な提案を行っているが,消費者保護の観点からも見過すことのできない改正提案がなされている。
とりわけ,「基本方針」中,消費者契約法の取込み(統合化と一般法化)が提案されている点については問題がある。そもそも,民法は対等な当事者を想定しているのに対し,消費者契約法は情報の質及び量並びに交渉力の格差のある事業者と消費者の関係を規律するものであって,このように質的に異なるものを民法で規定することは問題である。また,社会経済情勢の変化に伴い,「消費者」概念や消費者契約及び事業者と消費者の関係性も日々変化していくものであり,消費者契約に関する法律関係は,本来,特別法たる消費者契約法において規律し,社会情勢の変化に伴い機動的に改正作業を行うのが相当であり,消費者契約に関する法規範を民法典に取り込むことは却って機動的な法改正を阻害しかねない。したがって,当会としては消費者契約法の法規範を民法に取り込むことには上記意見の趣旨1のとおり反対であり,消費者契約に関わる法規範の問題は本来的には消費者契約法の改正問題として扱われるべきである。
しかし,上記法制審では消費者契約法規範を債権法に取り込む議論がされる可能性が高いので,その場合には,消費者保護の観点から,主として下記に述べる問題点が見られるため,上記意見の趣旨2のとおりの意見を述べる。

  3  意見の趣旨2(1)について
   (1)  消費者契約法の基本理念
平成12年4月に消費者契約法が制定された背景,すなわち立法事実は,多数の消費者被害の存在にほかならない。これは現在も変わっておらず,平成19年度に国民生活センター及び消費生活センターに寄せられた消費生活相談件数は約104万件,経済的損失額は最大で3兆4000億円と推計されている*1ところであり,まさに我が国経済にとっても到底無視することのできない国民的損失が生じている現状が続いている。
このような消費者被害は,単にある特定の一個人が不注意であるとか,ある特定の一事業者が悪質であったとか,そのような事情が偶然に積み重なったことによるものではなく,まさに,事業者と消費者との構造的な優劣関係に起因するものである。そこで,当事者対等を旨とする民法の私的自治の原則,自己決定の原則をそのまま適用させるのではなく,事業者と消費者との構造的な格差を正面から認める新たな立法が必要とされた。
現行消費者契約法1条が,「消費者と事業者との間の情報の質及び量並びに交渉力の格差にかんがみ」,不当な勧誘行為について取消を可能とし,また不当な条項については無効とすることによって,「消費者の利益の擁護を図」ることを明確に打ち出しているのは,このような立法事実に基づく。
      しかしながら,「基本方針」においては,【3.1.1.01】において契約自由の原則を定めている一方で,当事者間の格差に基づき,契約の目的,内容如何によっては契約自由の原理が修正されるということを明言した規定がなく,上記基本理念が未だ明らかとなっていない。
よって,このような消費者契約法の基本理念を明言した規定が必要である。
   (2)  解釈準則の必要性
また,現行消費者契約法においても,法律である以上,たとえば一般規定である同法10条のように解釈の余地のある条文が存在する。そのため立法趣旨を定めた上述消費者契約法1条を拠り所として,条文の解釈が行われていたものである(たとえば大阪高裁平成21年8月27日判決(金融法務事情1887号117頁),大津地裁平成18年6月28日判決(判例集未登載)など)。
「基本方針」が提案する債権法においても,解釈の余地がある条文が当然存在すると考えられ,特に,消費者契約法10条と同様の一般規定がある以上,その解釈の準則となる目的規定あるいは趣旨規定を設けることが不可欠であるというべきであり,このような規定がなければ,司法機関たる裁判所によって当事者間の格差を踏まえた法解釈がなされず,消費者保護が現状以下に不十分となるおそれがある。
よって,意見の趣旨2(1)のとおり,意見を述べる。

  4  意見の趣旨2(2)について
また,民法への統合化・一般法化の具体的内容についても,下記の点を中心として,さらに検討を要すべきである。
   (1)  同①消費者契約と個別交渉除外ルールについて
      ア  個別交渉除外ルール
          「基本方針」は,【3.1.1.32】等において,いわゆる不当条項リストを定めるにあたって,個別交渉を経て採用された消費者契約の条項についてはそもそも適用除外となるとの案を併記している。
イ  その問題点
          しかしながら,現行消費者契約法1条で規定されているとおり,事業者と消費者との間では,情報の質及び量並びに交渉力の構造的格差が存在するのであって,個別交渉を経たことを根拠に不当条項を有効化することは許されない。
          もちろん,「基本方針」【3.1.1.25】の提案要旨においても,その点には注意が払われており,ここでいう個別の交渉とは,形式的な交渉で足りず,あくまで実質的な交渉でなければならないとしているところである。しかし,情報の質の格差や交渉力の構造的格差は,当該事業を反復継続しているか否かから生じるものである。したがって,個別交渉が形式的か実質的であったかを探求したところで,「反復継続的遂行」と同じ効果が生まれることは考えられず,構造的な格差が是正されることはあり得ない。
         個別交渉除外ルールは,当事者間の格差を前提としない「約款」の場面では,個別交渉によって情報の秘匿・隠蔽が解消されることとなるため,除外ルールが一応妥当するとも思われる。
しかしながら,構造的格差のある非対等当事者間においては,個別交渉によって,反復継続的遂行が擬制されることはあり得ず,「約款」における議論と同列に論じることはできないというべきである。
よって,消費者契約において個別交渉除外ルールが適用されるべきであるとの案は採用されるべきではなく,意見の趣旨2(2)①のとおり意見を述べる。
   (2)  同②不当勧誘規制の一般規定について
        この点については,平成18年12月14日付けで日本弁護士連合会が公表した「消費者契約法の実体法改正に関する意見書」記載のとおりである。
        不当勧誘については,個別の規定には該当しないものの,知識や交渉力において優位に立つ事業者がその交渉力を濫用して,信義則に反する態様の勧誘行為を行う場合が存在している。例としては,異性の販売員が勧誘して消費者に好意をもたせることにより契約に持ち込む販売方法(いわゆるデート商法),また,マルチ商法で典型的であるところの,説明者役であるアドバイザー(A)と引っ張り込み役であるブリッジ(B)が,役割分担しながらカスタマー(C)を契約締結に至らせる販売方法(いわゆるABC方式)などあげられる。
        このように,現在社会では,日々新たな不当勧誘行為が事業者によって生み出されているが,個別的な規定のみでは,こうした新しい不当勧誘行為に対応しきれないのが現実である。
        こうした事業者の不当勧誘行為に厳正かつ迅速に対処するためには不当勧誘行為を規制するための一般条項の創設が不可欠であり,意見の趣旨2(2)②のとおり意見を述べる。
  (3)  同③不実表示の一般法化について
ア  不実告知の一般法化
「基本方針」は,その【1.5.15】において,現行消費者契約法4条1項1号の不実告知及び同条2項の不利益事実の不告知を一般法化し,消費者契約だけでなく,事業者間契約,あるいは事業者に対する消費者の不実表示がなされた場合も取消可能としている。
イ  その問題点
  そもそも,現行消費者契約法で不実告知及び不利益事実の不告知による取消が規定されていたのは,その前提として事業者と消費者との間で情報の質及び量並びに交渉力の構造的格差が存在するという理解があった。したがって,不実告知ないし不利益事実の不告知には,消費者から事業者への取消主張を民法の規定(主には詐欺取消)よりも一定緩和するという点だけではなく,消費者から事業者にしか主張できない片面的規定であるという点にもその存在理由があった。
  「基本方針」の提案要旨をみてみると,これらを不実表示として一般法化する結果,消費者契約における不実告知は一般法に発展的解消されると述べられているが,ここでは,現行民法の規定(主には詐欺取消)よりも取消の要件が緩和されるという側面の議論しかなされていない。
  しかしながら,もともと「不実告知」の規定には,構造的格差是正のための片面的規定であるという点にも重要な存在理由があり,これを看過してはならない。もっとも問題となるのは,「逆適用」である。すなわち,消費者が事業者に対して結果として不実表示を行ってしまい,事業者がその旨誤信したときに常にこれを取り消すことができることになれば,事業者と消費者との間の構造的格差に着目した法の趣旨に反し,消費者保護のためという目的にもそぐわない。
よって,事業者が,消費者によってなされた不実表示を理由として契約を取り消す場合は,例えば消費者の故意を要件とするなどの修正を行うべきであり,意見の趣旨2(2)③のとおり意見を述べる。

以  上


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