意見書

司法制度改革審議会「中間報告」に対する意見(2000年1月18日)



2000年(平成13年)1月18日


京都弁護士会
会長  三  浦  正  毅


はじめにー本意見書を発表するについて


   司法制度改革審議会は、昨年11月20日に「中間報告」を行い、本年6月中旬を目処に「最終報告」を取りまとめる予定にしている。「中間報告」は、21世紀の日本社会にふさわしい司法制度の抜本的改革の必要性とその方向を打ち出しており、基本的な方向性は支持できる内容となっている。このような改革提言を、極めて短期間にとりまとめるため尽力されてきたことは、率直に評価したい。

   しかしながら、司法とりわけ裁判の実体を批判的かつつぶさに検討し、それに基づく具体的な処方箋が出し切れているとは思われない。また、司法の役割として最も基本をなす人権保障機能を充実させるという視点が必ずしも十分とは思われない。そのため、裁判官制度改革では、判事補制度や司法官僚性の廃止に踏み込んでいない、国民の司法参加では、陪審を具体的に提唱できていない、民事司法改革では、実体とはおよそ反している弁護士報酬の敗訴者負担制度の導入を打ち出しているし、切実な改革が求められている行政事件や労働事件等に言及出来ていない、刑事司法改革では、代用監獄の廃止を含む、被疑者・被告人の人権保障が正面に据えられた改革提言になっていない、法曹人口については、その基となる司法制度の基盤整備が十分出されていない、法科大学院については、具体的な体制等が全て先送りされている、等々の問題が残されたままになっている。

   「最終報告」まで残された時間は極めて限られており、そこに至る審議に反映して欲しいとの思いから、当会は急いでこの意見書を取りまとめた。私たちの意見や、さらに広く国民の意見に耳を傾け、最終報告が、真に、21世紀の日本社会にふさわしい、司法の抜本的改革の方向を具体的に指し示したものとなるよう、希求してやまない。


第1  基本的理念と方向について


(「中間報告」の内容)



  1. 「中間報告」は、「この国が豊かな創造性とエネルギーを取り戻すために、政治改革、行政改革、地方分権推進、規制緩和等の経済構造等を構想・具体化し、すでに実施に移しつつある」と述べ、今次司法改革を、「『この国のかたち』の再構築に関わる一連の諸改革の『最後のかなめ』」と位置づける。その理由は、「一連の諸改革を憲法のよって立つ基本理念の一つである『法の支配』の下に有機的に結び遭わせるために、司法制度改革が必要不可欠であるからにほかならない」としている。


  2. そして、司法部門は、政治部門と並んで、まさに「公共性の空間」を支える柱として位置づけられるべきものであり、人間の体にたとえて言えば政治部門が動脈に当たり、司法部門は静脈に当たるというべきである。政治改革、行政改革等が心臓と動脈に付いた余分な付着物を取り除こうとするものであるのに対し、司法改革はこの静脈の規模及び機能の拡大強化を図ろうとするものであると評価する。


  3. さらに、司法(法曹)について「国民の社会生活上の医師」であると位置づけ、「潤いのある自己責任社会に必要とされるセーフティネットを整備する上で、活力のある政治部門の行き過ぎを是正する上で、人権保障を核とする憲法を頂点とする法秩序の維持、貫徹に直接責任を負う司法の役割がいっそう大きくなる」との認識を示している。


  4. さらにまた、司法が「公共性の空間」を支える柱であり、身体の静脈にも例え得るものとすれば、国民の広い支持と理解の上に立脚していなければならないとして、「国民は、統治主体、権利主体として、司法の運営に有意的に参加し、プロフェッションたる法曹との豊かなコミュニケーションの場を形成し維持する」必要が強調される。


  5. そうして司法改革の眼目として、人的基盤の整備、制度的基盤の整備、国民的基盤の整備(国民の司法参加)の三つを挙げている。



(問題点)



  1. 今次の司法改革の眼目を人的基盤の整備、制度的基盤の整備、国民的基盤の整備(国民の司法参加)としたこと、とりわけ国民の司法参加を改革の三本柱の一つに位置づけていることは高く評価できる。


  2. しかしながら、今次司法改革の位置づけやその史的背景については、独特の観点と論理、あるいは「この国のかたち」などと言うある意味では情緒的で、それ故に好みの分かれる言葉を用いて説明している点は、あまり評価できない。中間報告の改革の位置づけや改革の方向等の説明は、総じて理論的であるが、観念的であり、司法の実態に即していない点に大きな問題がある。すなわち司法の改革を言うのであれば、司法の現状、とりわけ裁判の実態や裁判官制度の実態について調査検討して問題点をえぐり出し、そのことを改革の契機とし、かつ改革の方向性を定めなければならない筈である。しかるに中間報告では、その司法の実態調査、検討に基づく考察が全くと言っていいほど欠落している。従って、司法の現状が、二割司法と酷評されるほどに国民の人権擁護に少ない役割しか果たしていない現実を無視ないし軽視しているといわざるを得ない。


  3. 論点整理においては、司法制度改革の史的背景を三条太政大臣の書簡に遡って記述し、一方において先の大戦の敗戦と日本国憲法制定などにはあまり重きをおかない歴史観が示されたことについて、批判が少なくなかった。その点が簡略に改められたことは、一応評価しうる。

       また、司法改革を政治改革、行政改革等の一連の最後の要と位置づけた点についても、政治改革や行政改革等を反国民的な施策と見る立場から、これを無批判に肯定し、司法をこれら反国民的施策に追随させるものという強い批判がなされていたが、「中間報告」では、「最後の要」という位置づけの所以が説明されている。つまり、政治改革、行政改革等を法の支配の下に有機的に結びつけるためと説明している。その意味合いは、すでに実施され、あるいはされつつある一連の政治改革や行政改革等を前提とし、政治や行政などの動脈ばかりが強固になるのではダメで、これに対抗しセーフティーネットの基盤を整備するためにも、政治部門の行き過ぎをチェックするためにも司法制度改革が必要不可欠であり、それが実現してこそ政治改革や行政改革が意義を持ってくるという趣旨であろうか。

       もしそうなら、「最後の要」という表現が必ずしも適切であったとは思えない。


  4. ある言葉が重みを持ち、説得力を持つのは、それが事実に即している場合である。事実から離れた言葉は、たとえ美辞麗句であっても、かえって浮ついたものになって、力を持たない。

       中間報告の内容全体について言えることであるが、前述したように司法の実態に則さず、観念的で頭でっかちな議論を展開している。そこに一種の脆さを感じないわけにはいかない。

       審議会が、これから最終報告に向けて、司法の実態を直視して問題点を明らかにし、そこから力強位数々の改革提言をなされるように期待したい。



第2  裁判官制度の改革(法曹一元)について



  1. 「中間報告」は、裁判官制度の改革について「裁判官には、多様な社会経験を持った質の高い人を任用できるようにする」ことや「裁判官が国民の信頼に応え、独立して職権を行使できるよう、給源の多様化・多元化をはかり、任命に工夫を加え、人事制度に透明性や客観性を付与する」ことなどを打ち出した。

    これらは、裁判官制度の改革に欠かせない課題であり、いずれも当然の指摘と言える。しかし、「中間報告」は、そのために具体的にどのようにしていく必要があるのかについてまでは、言及をせず、その具体化は、全てこれからの課題とされた。

    ここで最大の問題点と思われることは、現行の裁判官制度について、その実状をつぶさに見極め、その問題状況をえぐり出した上での改革提言になっていない点であろう。そのことを抜きにしては、今後出される具体的な方向付けを誤る危険性もあり、今後の審議においては、是非ともその点に踏み込んだ検討を行い、真の改革につながる具体案が出されるべきである。

    現在の裁判官制度の問題点を、要約的に指摘すると、第1に、市民とは遠いところにいて、社会の動きや市民感覚から遊離していると思われる点のあることである。この主要な問題点は、裁判官のキャリアシステムにある。市民のなかで、市民にもまれて社会経験を積む機会は全くなく、「役所」のなかで、「先輩」だけを見て育っていくことその視野が狭くなることは否定出来ない。

    第2に、官僚的意識が強く独立心が希薄で、市民の人権より行政の意向を尊重し、最高裁の統制下にあると感じられることである。これは、もっぱら肥大化した司法官僚制度にその原因がある。現在の制度では、最高裁事務総局が裁判官の任用や人事を一手に握り、裁判官がその統制下に置かれている。逆に、市民が選任や運営に参加する機会は全くない。そのため、裁判官は市民よりも最高裁に目を向ける。存在が市民から遠いだけではなく、その考え方や判断までもが市民から離れていく原因がここにある。

    このような裁判官制度の改革は不可欠であり、司法改革のかなめと言える。


  2. そこで先ず、審議会が「中間報告」で指摘するように、「多様な社会経験を持ち、人間味あふれる裁判官」を確保するためには、「判事補制度」を廃止し、キャリアシステムを変える以外にはない。特に「判事補制度」は、一人前の裁判官ではない裁判官の存在を認め、裁判所が「子飼い」で裁判官を養成するシステムで、それが階段式に「昇進」していくキャリアシステムと結びついて、官僚的な裁判官を育てる役割を果たしてきた。これらを廃止して、市民と悩みを共有し、市民の目線で法律実務に従事し豊かな社会経験を積んできた弁護士などから裁判官を選ぶ制度(法曹一元)を導入することが不可欠である。

    さらに、この点も審議会が指摘しているように、裁判官が、独立心を持ち、同時に、独立して職権が行使できるための「制度的保証」が不可欠であり、そのためには司法官僚制度を、根本から改める必要がある。

    任命から人事まで、最高裁判所の事務総局が一元的に管理し、裁判官の統制が可能となるシステムを改革することである。任命には、国民の声が反映する民主的な手続を導入し、「昇進」を前提にした縦型人事を止め、裁判官は皆対等・平等な立場で、人事をはじめとする司法行政にあたることができるようにすることである。

    こうしてこそ、初めて「裁判官の独立」は確保できる。


  3. 審議会は、「中間報告」では、大変重要な問題提起し、裁判官制度の改革の必要性を指摘した。そうであれば、「判事補制度」やキャリアシステム・司法官僚制度を廃止する方向を明確に打ち出すべきであるが、そうはなっていないところに大きな問題がある。

    これは、「判事補制度」やキャリアシステム・司法官僚制度に固執し、司法官僚制度の温存を願う「強い力」に押されてのことと思われる。官僚体制は、それが強ければ強いだけ、「現状維持」を計ろうとするのが、官僚体制の大きな特徴である。今回の審議会は、これまでと違って、「官僚」の目線ではなく、利用者の視点、市民の視点で、改革を進めていくことを理念としており、その理念が反映され、官僚制度を打ち破る提言こそが求められているのである。

    弁護士会では、質の高い裁判官を確保すべく懸命の取り組みを開始しているし、何よりも法曹人口が大幅に増加していけば必然的にその条件は整備されていく。今必要なことは、将来を見据えて改革の方向性を明確に指し示すことである。

    社会経験と独立心が豊かな質の高い裁判官を、国民の声が反映される任命手続で確保すること、任命後は、独立して職権が行使できる制度的保証を確保すること、こうしてこそ憲法が期待する人権保障の砦としての司法、権力から独立した司法を作り上げることが出来る。

    なお、当会は、「判事補制度」について、その問題点を指摘し、「廃止」を求める意見書を昨年11月21日に発表している。合わせて参照されたい。



第3  国民の司法参加について



  1. 「中間報告」が国民の司法参加の意義として、国民主権を正当化原理にすえ、参加制度を論じる視点として、裁判内容に国民の健全な常識が反映されること、参加する国民の主体性を確保するという2点を指摘していることは、まさに炯眼であり、高く評価できるものである。


  2. 「中間報告」の段階における合意として「陪審・参審制度にも見られるように、広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、訴訟手続きにおいて裁判内容の決定に主体的、実質的に関与していくことは、司法をより身近で開かれたものとし、裁判内容に社会常識を反映させて、司法に対する信頼を確保するなどの見地からも必要であると考える」としていることにも異論はない。


  3. 今後は、司法参加の具体的制度、すなわち陪審制度か参審制度か、あるいはその混合形態が望ましいのかが検討されることになると考えるが、上記中間報告の寄って立つ原理と視点、すなわち国民主権原理を最も体現し、かつ、裁判内容に国民の健全な常識が反映されること、参加する国民の主体性を確保するという2点に充分に配慮した制度が目指されるべきである。


  4. 本年になり、法務省が評決権のある参審制度の提案を決めたとの報道がなされたが、上記視点からは陪審制度こそが採用されるべきである。

    何故なら、参審制度は、あくまでも裁判官の裁判を前提にし、これに国民(参審員)の意見を反映させようという発想に立つ制度である。ここにおいては、職業裁判官の裁判を前提に、これを補完するものとして国民の参加がとらえられている。これは、国民主権という原理的正当性に正面から適合するものとは言いがたい。

    また、参審制度では、参加できる市民が一部の者に限定され、「広く」「一般国民」が参加できるかどうかに大きな危惧がある。仮に参審員の数、選出方法や任期などに工夫をしようと職業裁判官の意見に抗して参審員の意見を通すことを期待することは、極めて難しい。このような制度のもとにおいては、国民の主体性は、十分確保されず、その結果、裁判内容に対する国民の常識は反映されない結果に終わることが危惧される。結局は中間報告の述べる上記視点は2つとも生かされないことになる。

    参審制度を主張する意見の根底には、なお職業裁判官を国民より信頼できるものとする発想があると思われる。「中間報告」の述べる司法参加の意義は、このような発想とは全く異なるもので、まさに主権者たる国民こそが司法権を担うべきものであるというものである。

    「中間報告」のいう司法参加の意義に最も適合する制度は、陪審制度である。


  5. なお、本意見においては、念のために断っておくが、あくまでも被告人の選択による陪審制度を提案しているのであり、被告人が職業裁判官による裁判を希望するのであれば、それも可能なのである。

    しかし、被告人が国民によって裁かれたいと希望する場合に、これを否定すべき理由はないというべきである。


  6. この他、「間報告」検察審査会の議決に対する法的拘束力を付与する方向での検討を提案しているが、これにも賛成するものである。


第4  利用しやすい司法制度(民事司法制度)について


はじめに


「中間報告」は、「国民に分かりやすく利用しやすい司法制度を構築する」ことを大きな柱の一つしており、民事裁判制度について種々の改革提言を行っている。その多くは、支持できる内容になっているが、次に述べる点については、重要な問題点があり、「見直し」も含めて十分な審議を求めるものである。



  1. 弁護士報酬の敗訴者負担制度について

       「中間報告」は、「弁護士報酬の敗訴者負担制度は、弁護士報酬の高さから訴訟に踏み切れなかった当事者に訴訟を利用しやすくするものであることから、基本的に導入する方向で考えるべきである。ただし、その報酬額は実際に支払った報酬額ではなく、その一部に相当しかつ当事者に予測可能な合理的金額とすべきである。また、労働訴訟、少額訴訟など敗訴者負担制度が不当に訴えの提起を萎縮させるおそれのある一定種類の訴訟は、その例外とすべきである。」とし、敗訴者負担制度を原則導入するという提案を行っている。

    しかし、この見解に賛成することはできない。

    敗訴者負担制度は、訴訟を利用しやすくするどころか、訴えの提起を萎縮させる効果が強い。一般的にも多くの事件は、予め勝ち負けの予想をすることが容易ではない。特に、公害環境訴訟や消費者訴訟など、市民の権利関係に大きな影響を与える一定の事件は、幾多の裁判により被害救済の理論が構築されてゆく分野であり、当事者にとって訴訟の見通しをたてることが極めて困難な場合が多い。

    このような分野において、弁護士報酬の敗訴者負担制度を実施することは、訴訟提起自体を断念させる結果と成りかねない。特に、そのことは経済的弱者に顕著となる。

    この点について、「中間報告」は、一定の訴訟を例外とすることで、この問題点を回避しようとしているが、今後、種々の新しい紛争領域が発生するなかで、例外を予め設定することは極めて困難である。

    弁護士報酬を敗訴者に負担させることが正義にかなうケースについては、現在でも判例により弁護士報酬を損害の一部として相手方に請求することが認められている「不法な訴えに応ずるため」或いは「不法行為に基づく損害賠償請求権を行使するため」という類型を、解釈上、これらのケースに限らず広げていくことにより、権利救済の目減りをさせず、不当提訴、不当応訴のために必要となる弁護士報酬を相手方に負担させることは可能である。

    よって、弁護士報酬の敗訴者負担制度の導入はすべきではなく、「最終報告」においては、明確にそのことを指摘することを求めるものである。

    なお、当会は、本意見書と別に、この問題に限っての意見書を同日発表しており、合わせて参照されたい。


  2. 事訴訟の家庭裁判所への移管について

       「中間報告」は、現在の法制度では、一つの家庭関係紛争事件の解決が、家庭裁判所の調停手続と地方裁判所の人事訴訟手続とに分断され、国民に分かりにくくまた不便であることから、人事訴訟事件を家庭裁判所の管轄に移管すべきであるとする。

       しかし、人事訴訟の家庭裁判所への移管については、家庭裁判所が訴訟を取り扱うことによって、家庭裁判所の人間関係調整機能が損なわれることにならないかとの懸念がある。また、家庭裁判所の裁判官や調査官の負担増などの理由により、地方裁判所の人事訴訟手続よりも、家庭裁判所の審判手続が遅延している現状を前提にすると、この「中間報告」の意見は、かえって紛争解決を遅らせることになりかねない。

       よって、まず、家庭裁判所の裁判官及び調査官の増員が必要であり、この点に関しては、家庭裁判所の機能や事件処理の現状を調査し、関係者の意見も十分に聴取して慎重に決める必要がある。


  3. 簡易裁判所の事物管轄の上限額見直し及び裁判所の配置の在り方について

    「中間報告」は、国民により身近な簡易裁判所の管轄事件の範囲を広げ、裁判所へのアクセスを容易にするとの観点から、簡易裁判所の事物管轄については、経済指標の動向などを考慮して、その訴額の上限を引き上げるべきであるとする。

       しかしながら、現在の簡易裁判所裁判官の力量には個人差が大きく裁判官としての力量に欠けるのではないかと思われる裁判官も散見される。このような現状を前提にすると、簡易裁判所の事物管轄の上限金額を大幅に上げることは逆に国民の裁判を受ける権利を脅かすことになりかねない。簡易裁判所の事物管轄を広げるためには、簡易裁判所裁判官の給源を弁護士を含め広く法曹各界に求めるとともに、裁判官の数を増やして法曹資格のある多くの裁判官が簡易裁判所の仕事を従事するなど、条件整備が不可欠である。

       また、昨今の簡易裁判所や地家裁支部の統廃合については、賛否両論あるとして、人口動態、交通事情の変化、事件数の動向等を考慮しながら、不断の見直しを加えていくべきであると述べている。

       しかしながら、国民が利用しやすい司法制度を実現するためには、国民により身近な簡易裁判所こそ、全国各地にキメ細かく配置をすべきであるし、地家裁支部についても、統廃合だけではなく、積極的に新たに設置していくことも必要である(京都府南部地域などは、新しい地家裁支部の設置は不可欠である)。こうした方向性を積極的に打ち出すことが今求められていると言える。


  4. 本年になり、法務省が評決権のある参審制度の提案を決めたとの報道がなされたが、上記視点からは陪審制度こそが採用されるべきである。

       何故なら、参審制度は、あくまでも裁判官の裁判を前提にし、これに国民(参審員)の意見を反映させようという発想に立つ制度である。ここにおいては、職業裁判官の裁判を前提に、これを補完するものとして国民の参加がとらえられている。これは、国民主権という原理的正当性に正面から適合するものとは言いがたい。

       また、参審制度では、参加できる市民が一部の者に限定され、「広く」「一般国民」が参加できるかどうかに大きな危惧がある。仮に参審員の数、選出方法や任期などに工夫をしようと職業裁判官の意見に抗して参審員の意見を通すことを期待することは、極めて難しい。このような制度のもとにおいては、国民の主体性は、十分確保されず、その結果、裁判内容に対する国民の常識は反映されない結果に終わることが危惧される。結局は中間報告の述べる上記視点は2つとも生かされないことになる。

       参審制度を主張する意見の根底には、なお職業裁判官を国民より信頼できるものとする発想があると思われる。「中間報告」の述べる司法参加の意義は、このような発想とは全く異なるもので、まさに主権者たる国民こそが司法権を担うべきものであるというものである。

       「中間報告」のいう司法参加の意義に最も適合する制度は、陪審制度である。


  5. 民事裁判の計画審理について

    「中間答申」は、迅速な裁判及び訴訟に要する時間や費用負担を分かりやすくするために計画審理が有益であり、そのためには、標準的事件についても、手続の早い段階で、裁判所と両当事者との協議に基づき、審理の終期を見通した審理計画を定め、それに従って計画審理を実施する実務を定着させていくべきであるとする。

       審理の終期を見通した審理計画を定めることが迅速・適正な裁判のために役立つことに異論はない。

       しかし、審理計画の過度の強調は、「あるべき審理期間」に現実の裁判が拘束されて手抜審理につながる危険性がある。現状のように多忙ななかで、裁判官が、「あるべき審理期間」内に審理を終結できないと無能であると評価されるのを恐れ、手抜審理に陥る危険性があるのである。

       よって、計画審理の項では、審理そのものには十分時間をかけ、手抜審理につながらないようにとの注意を明記すべきである。


  6. 懲罰的損害賠償制度・クラスアクションなどについて

       審議会は、十分な根拠を示すことなく、これらの制度の導入については、両論併記的な記述に止めている。

       しかし、民事裁判を市民にとって頼りがいのあるもの、「力」になるもの、利用しやすいものにするには、弁護士報酬の敗訴者負担制度ではなく、こうした制度の導入が、極めて大きな役割を果たすことは明らかである。ためらうことなく、市民の視点で、このような制度の導入を打ち出すべきである。



第5  刑事司法の在り方について



  1. 今回の「中間報告」は、刑事司法に関し、以下1.乃至5.の提言等をしている点では、率直に評価されるべきである。



    1. 「適正手続の保障」「犯罪者の更生」を、あらためて刑事司法の使命として明確に確認していること


    2. 現行法文上明文規定がなかった検察官手持ち証拠の開示につき、その制度としての必要性及び明確なルール化を提唱していること(ただし内容はかなり抽象的に留まる)


    3. 被疑者(被疑少年)に対する国公選弁護人(附添人)制度の必要性を再確認・提言していること


    4. 被疑者取調の適正化や捜査の可視化が必要であるとの方向性を一応提言していること(ただし対策内容の提言は極めて不十分である)


    5. 審理期間の制限、刑事免責あるいは法廷侮辱罪創設他裁判官の訴訟指揮権強化手法など、被疑者・被告人の人権保障や適正手続とは一定の緊張関係に立つ諸制度については、その導入論に対し弊害も指摘するなど、非常に慎重で謙抑的な評価を加えていること

      しかし他方、「中間報告」は残念ながら以下で詳述するとおり、依然、不十分な点や問題点をも孕んでいると言わざるを得ない。




  2. 刑事司法の現状における問題事象への認識・分析が不足している。



    1. 改革に向けた提言の前提として、十分検討されるべき「現状」の制度・運用の実態あるいは問題点に対する把握が極めて不足しており、評価・判断自体が回避され両論併記で終わっている事項が非常に目立っている。真の病巣が十分認識されていないまま具体的に提言された諸制度は、的外れであったり、効果的で適切な処方箋にはなっていないなどの問題がある。


    2. 例えば身柄拘束に関して「中間報告」は両論併記の上、現状評価について「具体的結論を得ることは困難」と検証作業を中止してしまっている。

         しかし1.罪証隠滅の恐れが安易に認められ、逮捕勾留が長期間許され、保釈が却下される「人質司法」の制度運用、2.裁判上顕在化したものだけでも未だに後を絶たない秘密接見交通権への圧迫・侵害等問題事例、3.そもそも広範な接見交通圧迫の嚆矢となりうる刑事訴訟法39条3項の存在や起訴前保釈がないこと4.さらに捜査機関と完全に独立しておらずしばしば自白獲得・強要の手段として利用されていた代用監獄制度等々の制度的欠陥が山積している。

         その結果、日本の刑事裁判は「死んでいる」とすら指摘されている惨状にある。

         上記問題点を始め、日本の刑事司法過程における人権侵害については、国連規約人権委員会がそれを厳然たる「事実」として指摘し、さらに警察官、検察官、裁判官、拘禁施設職員に対し特に名さしして国際水準の人権教育を要求したことからも明白である。


    3. 「中間報告」は、訴訟遅延問題について、当事者の争点不整理や体制不備にあると認識しているように窺える。しかし、訴訟遅延と言われている実体は、必ずしも明確ではない。また、そのように指摘できるとすれば、それは、「中間報告」が殆ど踏み込んで言及しようとしていない現在の捜査・身柄拘束・証拠提出などの運用、及びこれを無批判に広く追認してしまっている裁判所の対応などにこそあると言わざるを得ない。

         すなわち1.前記したような「人質司法」(被告人との意思疎通困難化)や、2.その間の取調過程が密室状態であり捜査中の時点では、これに弁護人が同時進行で立ち会うことが認められず、テープ録音やビデオ撮影等、適正さを事後的に検証する手段も極めて乏しいという「密室捜査」、3.それらの結果として、被疑事実等に争いのある事件では常態として供述調書不同意、捜査官尋問、被告人質問等の任意性立証などに膨大な時間を費消せざるをえないこと、そして4.検察官へ圧倒的に証拠が多数偏在するにもかかわらずそれを是正する広範かつ強力な証拠開示制度も明確化されないため、弁護人が多くの場合、公判審理当初から事件の争点を整理することが至難になっていることなどが主要な原因なのである。

         従って、審理の促進には、1.取調可視化とそれによる起訴前弁護の充実2.「人質司法」の解消3.公判段階での検察官手持ち証拠の事前かつ全面開示による真の武器対等化の3点が不可欠である。

         なお、取調過程可視化策としては、全体のテープ録音、ビデオ録画そして弁護人立会権の確立が不可欠である。この点「中間報告」は、最低限必要な手段として「取調過程・状況の書面による記録義務化」を挙げる。しかしこれは一度裁判所の主導で試みられたが、殆ど違法取調や自白強要抑止にとり無益だった手法である。このような歴史的に破綻したことがとっくに証明済みの「時代遅れの手法」を再度提案すること自体、本来は審議会の名誉にかかわるものである。

         また、「中間報告」のうち法曹三者の「体制」充実それ自体が、迅速で充実した裁判実現のために有益であることは否定できない。しかしその整備対象は、主として人員不足が弁護人以上に明らかに深刻な刑事担当裁判官や検察官の充実に向けられるべきである。また弁護体制の充実としては、むしろ一番に、あまりにも低額な国選報酬の改訂や記録謄写・通訳費用等の保障など国選弁護の経済的充実が必要かつ緊急な課題である。


    4. さらに「中間報告」は、直接主義・口頭主義原則や伝聞法則の形骸化に関し、あたかも現実の事態ではなく、抽象論・仮定的事態であるかのような表現をしている。

         しかしこれらの形骸化による「調書裁判」は、紛れもなくしかも件数的にも圧倒的が多数存在する「現実」であり、これを生み出した原因は、今の日本の裁判所が、刑訴法321条1項2号書面の特信情況や自白調書の任意性を無批判に認めてきたからに他ならない。


    5. 以上述べたとおり、「密室捜査」「人質司法」「調書裁判」「無罪推定原則の形骸化」そして数多の悲惨な「冤罪事件」発生等、日本の刑事司法の問題事象は、明白で議論の余地のない事実として「存在」している。

         この点は、国内においては、日弁連や多くの弁護士、刑事法学者、あるいは冤罪事件の被害者(元被告人)のみならず多くの市民が、多数の意見書やデータを提出したり、または公聴会などで鋭く訴え続けてきた。

         そして国際的にも強く批判されてきたとおりである。




  3. 「法の支配」「適正手続」理念の軽視、不徹底



    1. 「中間報告」は、総論部分から各論部分に至るまで全般に、「法の支配」及び「適正手続」を重視しようという視点が、残念ながら希薄である。


    2. 例えば総論部分では「刑事司法に対する国民の期待」と題し、社会秩序の維持や被害者保護の要請にも詳しく触れ、両者が刑事司法の目的であり、特に後者を国民が期待しているので考慮すべきとの如き論調が強く窺える。また実体的真実発見と適正手続との関係についても、「いずれか一方のみを強調」せずと、並列的な表現・総括しかしていない。

         しかし、「法の支配」や「適正手続」及び「人権保障」の理念に照らすと、刑事司法の本来的使命(刑事訴訟法の目的)は、適正手続の枠内での実体的真実発見(消極的実体的真実主義)であると考えられ、過度にこれ以外の秩序維持や被害者保護(特に被害感情充足)の要請を強調することは、刑事司法の本来の目的を歪める危険がある。


    3. また、審理の充実、迅速化に関し「中間報告」は、特異重大事件の審理長期化を害悪・是正対象であるかのように評し、これを「刑事司法に対する信頼を傷つける」と表現して、重大事件の訴訟「遅延」を国民の評価信頼の観点から問題であると位置づけている。

         しかしそもそも迅速な裁判については、日本国憲法37条1項が明文で保障するとおり、本来は何よりも被告人の人権保障の観点から検討されねばならない。複雑重大事件ではむしろ、審理に一定の日時を費やすことこそ、被告人の防御権行使など「公平な」裁判、適正手続実現のためには避けられない。いずれにしても、適正手続を十分保障しつつ審理の迅速をはかることが求められており、前述したように、そのために必要な手続と体制の整備こそが不可欠である。




  4. 人権保障特に国際水準への配慮の欠落



    1. 「中間報告」は、憲法及び国際人権法・条約等が要求する人権保障水準への配慮、これらに沿った改革の必要性の指摘が、欠落している。「中間報告」は、一応、「人権保障に関する国際的動向」への配慮に言及しているものの、具体的には、個々の論点に関する箇所等では、国際的動向に反する人権侵害の「現状」分析や批判的検証作業が殆ど放棄されているのである。今回の「中間報告」のように、国際的犯罪情勢等を根拠とする捜査・司法共助のみを具体的に提言し、人権保障を抽象的にしか提言しないのは、捜査機関・国家権力側の要請を片面的に考慮したものとも受け取れる。


    2. 具体的には、先に指摘した1.全面的証拠開示2.身柄拘束の抑制3.取調可視化4.代用監獄の廃止等の諸改革は、国際人権水準からの強い要請である。これらの要請は、日本国憲法下での法の支配貫徹の要請とは完全に整合するものであるし、批准された条約や国際法を遵守することは、日本政府の責務でもある。




  5. 被疑者被告人(被疑少年)の公的弁護人(附添人)制度について



    1. 「中間報告」が、1.現状の当番弁護士制度や扶助事業の限界を直視し、被疑者被告人を通じた一貫した公的費用による弁護体制確立の方向性を明言したこと、2.少年についても、被疑者をも視野に入れた公的附添人制度の導入を積極的に検討すべきとしたこと、3.制度作りについては、個々の弁護活動の自主性・独立性が損なわれないようにすること、などは、いずれも高く評価しうる項目の一つである。


    2. しかし、他方、制度設計にあたっては、「公的資金を投入するにふさわしい」運営主体・組織構成・監督主体が要請されるとしているが、この点の過度の強調が、被疑者・被告人の人権の最後の代弁者・ブレーキとなるべき刑事弁護の本質を歪める恐れが懸念される。

         したがって、そのために審議会は、弁護人の自主性・独立性維持があくまでも制度上絶対的に優位であると明言し、それが十分確保される制度設計を行うべきことを提言すべきである。また、その具体的方法手段としては、弁護士会による国選弁護人推薦制度が、現行制度下で既に自主性独立性保持に大きく貢献してきた手段として今後も尊重・維持されるべきであると明確に確認すべきである。


    3. 少年については、今後は公的附添人を付す範囲をより明確にし、基本的には、全ての少年に審判開始・不開始を問わず、被疑段階から公的付添人が必要であることを明確に宣言すべきである。

         なお、少年審判・刑事司法については、既に少年法「改正」議論が審議会設置以前から他で先行していたこと等の関係上、あるべき少年審判手続の全体像が明確な論点整理・検討対象とならなかった。しかし少年司法も刑事司法の重要な特別法領域であるから、本来はその全体像が審議会の関与の下検討されるべきであったのであり、この点全く関与しない形で少年法「改正」が成立したことは、甚だ遺憾であった旨特に強調しておきたい。



  6. 取り残された論点について



    1. 「中間報告」では、1.公権力犯罪への対処(準起訴手続の実態検証・改革)や、2.再審制度の運用、3.裁判官忌避制度の空文化、4.憲法上の二重の危険禁止の要請に由来する検察官上訴制限の検討等の諸問題に触れられていない。これらの諸点も、「法の支配」貫徹そして国際水準の人権保障達成のためには必要なものであり、今後は十分視野に入れた検討を期待したい。



第6  法曹人口について



  1. 「中間報告」は、わが国の法曹人口が極めて少なく法曹人口を増大させる必要性についてはすでに1964年の臨時司法制度調査会意見書においても強調されてきたこと、法曹人口(1997)の国際比較においても法曹一人あたりの国民数はわが国が約6300人と突出して多いこと(アメリカ・約290人、イギリス・約710人、ドイツ・約740人、フランス・約1640人)、今後、わが国社会が法曹需要の高まりと質的多様化の時代を迎えるであろうことなどをあげて、「法科大学院を含む新たな法曹養成制度の整備の状況等を見定めながら、計画的にできるだけ早期に、年間3000人程度の新規法曹の確保を目指す必要がある」としている。現在、年間の新規法曹は約1000人であるから、これを飛躍的に増加させることになる。


  2. 戦後、わが国では、憲法の理念とは裏腹に、《行政優位・小さな司法》が維持されてきた。《小さな司法》の内部では、行政と同じような司法官僚制のシステムが続いてきた。しかし、すべての市民が、いつでも、どこでも、法と正義にアクセスでき、憲法の保障する人権を、名目としてでなく、実際にも、享受できるようにするためには、法曹人口の現状を根本的に改め、拡大することが必要である。

       この21世紀、わが国を、憲法・国際人権宣言の理念に基づく、すべての市民の個性と人権が大切にされる社会にするためには、このような《官僚的司法・小さな司法》を、《市民の司法、大きな司法》に転換していかなくてはならない。


  3. 《市民の司法、大きな司法》の鍵の一つは、司法官僚制の転換と併せて、裁判官も,検察官も,弁護士も少ないという法曹人口の現状を根本的に改め、これらの人数を大幅に拡大することにある。

       私たちは、昨年11月1日、日弁連が臨時総会を開催し、法曹一元や陪審制度実現の要望決議とともに、「法曹人口については、法曹一元制の実現を期して、憲法と世界人権宣言の基本理念による『法の支配』を社会の隅々にまでゆきわたらせ、社会のさまざまな分野・地域における法的需要を満たすために、国民の必要とする数を、質を維持しながら確保するように努める」と決議し、この課題に正面から取り組むことを決めている。

       同時に弁護士会は、弁護士の地域的偏在を解消するため、これまで自治体等の協力も得て独自に推進してきた法律相談センターや,公設法律事務所の全国的展開を、さらに、精力的に進める必要があるものと考え,例えば当会においてもゼロ・ワン地域であった京都府丹後地域や船井・北桑地域に法律相談センターを立上げ、さらに京都府南部地域にも法律相談センターの設置を準備している。このような取組みはいまだ緒についたばかりであり、これからの拡大強化が必要とされている。

       実際に、毎年、多くの新規法曹を社会に送り出せるようにするためには、その質・量を支えるのにふさわしい法曹養成制度構築や、なによりも司法の要となるべき裁判官数の増大、これに伴う裁判所配置の見直し,司法過疎解消、誰でも資力の多寡にかかわらずあまねく権利・人権の実現・救済を受けられるようにする法律扶助制度の飛躍的充実など、《市民の司法、大きな司法》の実現に伴う様々な諸課題を、総合的、有機的に推進・実施していくことが必要である。これらの諸課題は、弁護士会や市民の努力だけでは実現できないことであり、いずれも、国などにおいて抜本的な予算措置をとることが必要となる。

       そして、単に法曹人口の増大がはかられるというにとどまることなく、この過程で、同時に、《市民の司法、大きな司法》の中核に座る法曹一元制、陪審制の実現が見通されなくてはならない。《大きな司法》は一部の司法官僚が牛耳る司法の現状においては望み得ないものなのであって,《市民の司法》であってこそ支えられるものというべきでる。地域に根ざす、市民、住民中心の司法となってこそ、多くの新規法曹を社会に送り出せるシステムも円滑に機能するものといえるのでである。

       しかしながら、「中間報告」は、法曹人口の飛躍的充実を打ち出したものの、残念ながら、このような《官僚的司法・小さな司法》の《市民の司法、大きな司法》への転換を、必ずしも具体的に打ち出し切れていない。また、肝腎の裁判官数等の増大、これに伴う裁判所配置の見直し・司法過疎解消、法律扶助等の諸課題など《大きな司法》の前提となる基盤整備についても抽象的な提言にとどまっている。

       「最終報告」では、これら司法基盤の抜本的な整備を具体的に提言することが求められている。



第7  新しい法曹養成制度(法科大学院)について



  1. 「中間報告」は、現行の法曹養成制度には、1.受験者が受験技術優先傾向を強めており、試験制度自体の改善には限界がある、2.大学法学部教育は、基礎教育の面でも、専門教育の面でも中途半端で、法律実務との乖離が指摘されている、3.1.2.の結果、司法試験受験予備校の隆盛、「大学離れ」の深刻な状況を招いているとし、現行の法曹養成制度では21世紀の司法を支えるにふさわしい質・量ともに豊かな法曹を養成できないとの認識を示し、これに代わるものとして、法曹養成に特化した基幹的な高度専門教育機関としての「法科大学院」を中核とする法学教育・司法修習を有機的に連携させた「プロセス」としての法曹養成制度を新たに整備すべきことを提言している。

       「中間報告」の示す法科大学院構想の骨子は、公平性、開放性、多様性を理念の中心に据え、修業年限を3年としながらも2年の短縮型の併存も認め、入学試験のほかに学業以外の活動実績や社会人としてのそれ等も総合的に考慮して入学選抜を行うものとされており、教育内容については、法曹養成のための最低限の統一性と教育水準を確保しつつ、各大学院の独自性、多様性を尊重するものとし、教育水準、成績評価、修了認定の厳格性確保のため、第三者評価を継続的に実施するものとされている。また、法科大学院の全国的な適正配置の配慮、夜間制、通信制等の整備と財政的支援を提言している。

       新しい司法試験は、認可を受けた法科大学院修了を受験資格とするものの、入学困難な者については例外的措置を講ずることも認め、法科大学院の教育内容を踏まえ、新司法修習を施せば法曹としての活動をはじめることができる程度の能力の有無を判定するものとされている。また、受験回数制限を行うことなども提言している。

       新しい司法修習は、実務修習を中核に位置づけ、集合修習の前期については法科大学院の整備定着に応じ随時、見直すものとされているほか、司法研修所の管理運営には、法曹三者の協働関係の一層の強化と法科大学院関係者などの声を反映させる仕組みを求めている。


  2. しかし、「中間報告」では、法科大学院の理念・目的、制度設計の骨子が示されたのみで、法科大学院認可の設置基準や設立時期はどうなるのか、第三者評価機関の構成や権限はどうなのか、法科大学院の全国的な配置は具体的にはどのようなものとなるのか、司法研修所の管理運営はどう変わるのかなど、多くの重要な点が抽象的であったり、不十分なままである。しかも、これら諸点をいったい誰がどのようにして具体化していくのか、財政的な措置はどうなるのかなどについても、曖昧なままである。

       また、現在の司法研修所は、最高裁事務総局の厳格な管理下で判事補採用のリクルートに利用され、人々の生の声に接する弁護士実務の比重は低く、研修の中心は技術教育となっている。司法修習生のなかには最高裁の顔色をうかがうという雰囲気が広がり、現行の法律実務を批判的、創造的に把握するという視点が育たない。「中間報告」には、大学教育の問題点の分析、批判はあるものの、このような司法修習制度の現状に対する分析、批判はほとんどみられない。

       「中間報告」が新しい法曹養成制度の提言を行いながら、このような曖昧さ、不十分さなどの制約を免れないのは、1.今回の構想が大学主導で進められてきたことから、「大学離れ」の危機感、法科大学院に対する大学法学部の生き残り策としての期待が強く念頭にあり、21世紀に求められる《市民の司法、大きな司法》への司法改革の観点が二の次として意識されていること、2.司法官僚制に対する認識の甘さ、司法研修所が司法官僚制の温床として機能してきたことに対する認識の弱さが指摘できる。

       こうしたことから、法科大学院が大学経営に従属しその経営に利用されるだけに終わりかねないこと、また、そうなるとすれば、「中間報告」の指摘する現行制度の問題点が、法科大学院制度のもとで形を変えて拡大されることすら強く危惧される。

       法科大学院構想は、文部省に白紙で委ねられたり、大学経営の従属物としてではなく、《市民の司法、大きな司法》の人的基盤形成の問題として、《市民の司法、大きな司法》実現の司法改革諸課題とともに、有機的、総合的に関連づけられながら、構想も具体化もなされる必要がある。したがって、それはまた、地域に根ざし、地域住民に支えられる《市民の司法》の枠組みの一環として、国民的な議論にふされなくてはならない。

       そして、このようにして市民的な合意が得られた法科大学院構想については、その実現、運営につき、国家財政、自治体財政による十分な支援がなされるべきである。

       また、司法研修所については、その制度を抜本的に改め、法曹三者が共同して運営し、弁護実務を中心にしたものにしていく必要があり、そのような具体的な改革提言がなされるべきである。



第8  弁護士制度改革について



  1. はじめに


       「中間報告」は、弁護士の役割は、「国民の社会生活上の医師」として、「基本的人権を擁護し、社会正義を実現する」(弁護士法第1条第1項)との使命感に基づき、国民にとって「頼もしい権利の護り手」「信頼し得る正義の担い手」として、高い質の法的サービスを提供することにあるとし、弁護士が、その活動領域を大幅に拡大しながら国民に一層身近で、親しみやすく、頼りがいがあり信頼できる存在であるべく、自らを厳しく鍛え上げていかなければならないとしている。

       われわれ弁護士、弁護士会は、これまで、弁護士法第1条の精神に基づき、業務を行い、活発な活動を展開してきたが、二割司法という言葉に象徴されるように、必ずしも十分とはいえない面があったことは否定できない。われわれは「市民の司法」を目指すものであり、行政、企業法務、労働法務その他、新たな法的分野に積極的に関与するなど、その活動領域を拡大し、遍く「法の支配」を行き渡らせ、司法が十分その権能を果たせるようにするため、力を尽くさなければならない。われわれは、その意味から、中間報告の考えに基本的に賛成する。


  2. 具体的問題



    1. 使命感を持ち、能力を持った弁護士の養成

         上記の基本的考えから、弁護士人口の大幅な増加が要請されているが、当然のことながら、単に数を増やすのではなく、弁護士としての使命感を持ち、能力を持った弁護士の増加が期待されているのである。弁護士人口が増えて競争状態になれば質は上がるという考えもあるが、いささか楽観的にすぎるというべきである。弁護士人口が大幅に増え、国、自治体、企業、労働組合等に雇用される弁護士の増加、隣接士業の業務への進出など、弁護士業務の形態、内容の変化にともない、相当部分に、弁護士としての使命感が希薄化するおそれ、能力が低下するおそれがあることは否定できない。これをそうならないようにするためには、従前とは異なる取り組み、努力が必要である。

         まず、法曹養成の過程において、これまで以上に、使命感のある法曹に相応しい人材の確保、使命感の涵養、教育、基本的能力を確保するための教育の充実が極めて重要である。法科大学院の設置が検討されているが、弁護士会はこれに積極的に関与し役割を果たすべきである。

         次に、弁護士会は、新しい状況に適した弁護士倫理を制定し、会員に対する倫理、業務の研修を充実、強化し、かつ研修の定期化、受講の義務化をはかる必要がある。


    2. 弁護士の活動領域の拡大

         弁護士法第30条は弁護士の兼職及び営業等を制限しているが、上記の基本的考えからすると、このような制限は廃止されるべきである。しかし、営業の種類等によっては弁護士としての品位を損なうおそれもあるから、届出制を採用し、弁護士会が、実情を把握し、必要に応じ、適正に指導監督権を行使できるようにするべきである。


    3. 弁護士会の運営への市民の意見の反映より信頼される弁護士会になるためには、より開かれた弁護士会とならなければならない。

         当会は、「市民モニター」制度を設け、市民をモニターに委嘱し、意見を聞く機会を設け、委員会活動を傍聴してもらうなどして、市民の意見や要望を弁護士会活動に反映し、市民の関心と理解を高め、弁護士会を市民に身近で開かれた存在となるよう努めてきたが、このような制度を、さらに推し進めるとともに、ホームページを活用するなどして、弁護士会から積極的に情報を発信し、市民の意見を受け入れるようにすべきである。


    4. 苦情処理の充実

         当会には、苦情等処理のための制度として「市民窓口」と「紛議調停」が設けられている。

         「市民窓口」は、基本的には、その役割を果たしているといえるが、そうした制度のあることが広く市民に知られていないことから、必ずしも十分なものにはなっていない。当会では、現在は、4名の副会長が担当しているが、今後、案件が増えた場合にどうするか検討する必要がある。次に、「紛議調停」は、迅速さにおいて市民の要望に沿えていないのではないかと思われる。一期日処理、集中期日など迅速な処理のための工夫が必要である。

         また、弁護士会の苦情処理制度、手続及び書式等の情報を、市民がホームページを通じて入手できるようにするなどの改善が求められている。


    5. 綱紀・懲戒手続と弁護士自治

         綱紀・懲戒手続の一層の透明化、迅速化、実効化のために、国民参加の拡充など、これら制度及び運用の見直しを行うべきである、との中間報告の考えに、基本的に賛成である。

         なお、行政改革推進本部規制改革委員会の規制改革についての見解(平成12年12月12日)は、条件付きとはいえ、弁護士自治の見直しを示唆しているが、そもそも現在、司法制度改革審議会において同問題を含め審議が行われているこの時期に、上記委員会からかかる意見が出されること自体おかしいというべきであり、われわれは同意見には強く反対する。すなわち、弁護士自治は、弁護士の職務の公共性、また時には裁判所、裁判官等に対し厳正なる批判者たることが要請されることから認められた制度である。そして、今後、司法がこれまでの消極主義を排し、行政のチェックなど本来の重要な機能を果たすことが期待され、弁護士がその中核を担うことを期待されていることからすると、弁護士自治の重要性はこれまで以上に増すのであり、維持、堅持されるべきである。




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