弁護士報酬の敗訴者負担制度導入に反対する意見書(2001年1月18日)



2001年(平成13年)1月18日

司法制度改革審議会

会 長  佐藤幸治           殿
京都弁護士会
会長  三  浦  正  毅

意見の趣旨

弁護士報酬の敗訴者負担制度の導入に反対する。

意見の理由




  1. はじめに


       司法制度改革審議会(以下単に審議会という)は昨年11月20日発表した中間報告において、現行の弁護士報酬各自負担制度は訴訟を必要以上に費用のかかるものにさせ、また法によって認められた権利内容が訴訟を通じて縮小されることになるとし、弁護士報酬の敗訴者負担制度は弁護士報酬の高さから訴訟に踏み切れなかった当事者に訴訟を利用しやすくするものであるから基本的にこれを原則とする制度の導入を提起した。しかし敗訴者負担制度については昨年6月実施された審議会によるヒアリング以来日本弁護士連合会はその導入に消極的見解を表明し、昨年10月18日には日弁連理事会決議をもって審議会に対しその導入提言をすることの無いよう申入れている。当会においては既に1996年に会内にこの問題の検討チームをもうけ、会内意見の集約、問題点の調査検討を行い、弁護士報酬の敗訴者負担制度には国民の裁判を受ける権利の確保上重大な弊害があること等からこれに反対する立場を常議員会にて確認し、昨年6月には、会長声明で同趣旨の見解を表明している。当会としては今回の審議会の中間報告の提言は当然のことながら容認しがたいものであるが再度中間報告の内容を吟味しこのような中間報告が出されるに至った議論経過をも検証した上で本意見書を作成公表するものである。


  2. 審議会の中間答申に至る経過とその内容



    1. 従前の議論の経過


         弁護士報酬の敗訴者負担制度導入の議論は、1954年に田中耕太郎最高裁長官が濫訴・濫上訴防止対策としてその導入の問題提起をしたことを嚆矢とするが、既に1964年の臨時司法制度調査会において、訴訟の能率的運営をはかるための方策という問題関心のもとに議論がなされている。ここでは濫訴・濫上訴の抑止目的は表面に出ておらず、本人訴訟の抑止=弁護士強制制度の導入に伴う措置として、これとセットで論議が行われている点に特徴がある。同調査会では、意見の一致を見ず、将来の検討課題とされるにとどまった。

         その後、1990年から始まった民事訴訟法改正論議において、法制審議会は弁護士費用の訴訟費用化の問題を検討事項として取り上げたが、結論を得られず、改正項目からはずされた。

         しかし、1995年法務省に「民訴費用制度等研究会」が設置され、1997年に報告書をまとめた。報告書は、弁護士費用の訴訟費用化については、弁護士人口の増加・法律扶助制度等の関連制度の整備・新民訴法施行後の弁護士業務の変化等の状況を見定めたうえで、将来の重要課題として検討を進めるべきだとしている。

         日弁連では、法務省の研究会に委員を送るとともに、1996年独自に「民訴費用制度等検討協議会」を設置して、主として、この問題について徹底的な調査・研究を行った。協議会は、現行制度でよいとする立場(第1班)と敗訴者負担の範囲を広げる立場(第2班)の二つの立場に分けて検討する手法を採用した。協議会は、1999年11月報告書をまとめた。そこでは一般的な弁護士報酬の敗訴者負担制度に賛成できないことについては意見の一致をみ、例外的に、特定の事件について敗訴者負担を現行制度を超えて認めるか否かについては賛否両論を併記している。


    2. 審議会の中間報告


         司法制度改革審議会は、「国民が利用しやすい司法の実現」を標榜している。最高裁も、審議会における1999年12月8日付プレセンテーションにおいて、「裁判に費用が掛りすぎる」という問題点との関連において、弁護士費用の敗訴者負担について検討を要するとした。

         2000年1月28日の審議会第11回会合において、竹下守夫委員から、「民事司法のあり方」について報告がなされ、この中で諸外国の弁護士費用の敗訴者負担制度の実情が紹介された。これを受けて、同年5月30日の第20回会合において、この問題が取り上げられたが、司法のユーザー側の意見を尊重する建前から、財界・労働界・消費者のそれぞれの代表委員から意見が述べられた。その結果を佐藤会長は、「基本的には敗訴者負担を制度化するが、弊害もあるので例外的な類型も考える必要がある」とまとめた。もっとも、各ユーザー委員の意見は、結論においては一致したものの、微妙なニュアンスの違いがある。

         2000年11月20日に発表された中間報告において、審議会は、「弁護士費用の敗訴者負担制度は基本的に導入されるべきであるが、負担させる額は一部として当事者に予想可能な合理的な額とし、労働訴訟や少額訴訟など訴え提起を萎縮させるおそれのある一定種類の訴訟は例外とすべきだ」とする考え方を採用することを明らかにした。


    3. 弁護士会が本問題へ対応する基本姿勢


         審議会の中間報告は、この問題について、国民が利用しやすい民事裁判・裁判所へのアクセス拡充・利用者の費用負担の軽減という点を突出して強調している点と、民事訴訟のユーザーである財界、労働界及び消費者の意見を尊重し、その提言を採用したとしている点に大きな特徴がある。つまり、審議会においては、財界、労働界及び消費者という民事訴訟のユーザーの利用しやすさという観点が最も重要であると認識されている。

         当会も弁護士報酬の敗訴者負担については、民事訴訟のユーザーにとって、より利用しやすい制度となるのか否かという観点から検討されるべきであると考える。しかしながら、国民にとって利用しやすい司法という観点に立った場合、弁護士報酬の敗訴者負担制度は、決して国民にとって利用しやすい司法につながらず、むしろこれを逆行させるものでしかないことを以下で明らかにしたい。



  3. 敗訴者負担制による看過しがたい弊害



    1.    当会は弁護士報酬の敗訴者負担制導入に反対するものであるが、現行の弁護士報酬の各自負担制に問題がないと考えているわけではない。現行制度にも問題はあるが敗訴者負担制を原則にすれば、より看過し難い重大な問題が生じるが故に反対せざるを得ないのである。

         労働者による未払賃金請求訴訟をはじめ、医療過誤訴訟、欠陥住宅訴訟など経済的な弱者が原告として勝訴した場合に、原告の弁護士報酬を被告に負担させることが望ましいことがある。また訴えの提起があまりにも不当であり被告の利益を害する場合に被告の弁護士報酬を原告に負担させないと不当と感じられるケースも存在する。現行法の下においても、弁護士費用の一部について不法行為の損害として裁判所が認めている場合もあるが、その範囲はごく狭く限定されている。この点については裁判の発展が求められる。しかしながら、こうした点を解決せんとして制度自体を180度転換して敗訴者負担制にすることは、比較できない大きな弊害を生じさせる。それが提訴、応訴、上訴の萎縮効果である。このことは審議会も理解されているところであり、それゆえに敗訴者負担とする金額は相手の弁護士報酬の全額ではなく一部とされ、かつ予測可能な金額とすること、さらに労働訴訟や小額訴訟等敗訴者負担の例外の訴訟類型を設けるとしているのであるが、以下のとおり敗訴者負担を原則とすること自体に伴う看過しがたい弊害がある。


    2.    第一に、規制緩和の時代に、勝訴の見とおしがつきにくい事件の当事者に裁判利用をあきらめさせることの弊害である。

         今日、勝訴の見とおしのつきにくい裁判は非常に多い。提訴時点ですべての証拠を集められない事も多く、さらに相手方の手持ち証拠についてはほとんど不明である。さらに法の適用にあたっても評価を含むものが多い。今後行政の規制緩和の進展に伴い、企業の営利活動の自由化が進めばますます財産的損害を受けた消費者や事業者が損害の回復を求めてくる時代になろう。明確な法律違反は無いが不当と考えられる紛争の増大である。このような紛争事件を裁判所がしっかり受止め、被害の救済と企業のあるべき行動基準を示すことが今後の社会の安定と発展の為には不可欠である。ところがこれらは敗訴の確率も高いので敗訴者負担制により確実に提訴が事前抑止されてしまう。これは社会の安全上も法の進化発展上も明らかに有害である。

         第二に、経済的に二重の弁護士報酬の負担に耐えられない層にとってはストレートに裁判の拒否になる。

         現行弁護士報酬規定は弁護士報酬について着手金と成功報酬に二分し、敗訴した場合には成功報酬の支払いはする必要がないため、経済的に充分な資力のない者でも提訴に踏み切ることが可能となっている。しかしながら、敗訴者負担制が導入されれば敗訴した場合には相手方弁護士の着手金や成功報酬分まで負担することになりかねず、経済的資力の充分でない者は裁判提起をあきらめざるを得ない。

         このような人々は法律扶助を利用すればよいとの反論があろうが、法律扶助は徐々に拡大されつつあるとは言え、あくまで償還制〈貸与制〉であり、本人の負担が減額されるものではない。

         第三に、訴えを提起された被告にとっても、種々の主張をして争った末に敗訴したときには相手方弁護士費用の負担をさせられると言うのでは、権利を最大限主張し争うことを躊躇せざるをえず裁判を受ける権利の萎縮につながる。

         第四に、司法改革の出発点は「二割司法」といわれる我国における司法制度利用率の低さであった。審議会の提言によりこれが少しでも解消されることが国民の願いであるが、敗訴者負担制はこれにブレーキをかけるものである。民主主義社会における紛争解決制度としては裁判手続き以外にも種々のものがあるが最終的な解決機能を担うのは裁判手続しかなく、この裁判手続の利用を躊躇萎縮させる作用を有する制度を設けることは結果として私的な紛争解決手段〈示談屋、暴力団など〉を今以上に増大させることにつながる。



  4. 立法技術上の問題点


       中間報告においては、原則的に敗訴者負担制度を導入することとし、それが相当ではない一部の訴訟類型については、従前どおり双方負担とすべきとされている。労働訴訟や少額訴訟などが例示されているが、提訴・応訴・上訴の萎縮効果により裁判利用の道を狭められるのはこれらの事件の当事者に限られないことは明白である。また、実社会に生起する民事紛争は、まさに多種多様であって、一言のもとで、例外とされるべき訴訟類型をもれなく表現することは、およそ不可能であって立法技術的にも過不足なく例外類型を規定することはできない。

       また、社会生活の進展に応じて日々新たな紛争類型が発生しているといっても過言ではない今日の状況にあって(インターネット社会における無秩序状態や、新手の消費者欺瞞的商法の登場などはその好例であろう。)、仮に立法対応によって、文言的に敗訴者負担制度の例外とされる訴訟類型を規定できたとしても、日々変化する社会情勢に適時適切に立法対応することが困難であることから、一度敗訴者負担制度が原則であるとの立法がなされてしまえば、法的安定性の名のもとで例外措置の対応が等閑にされ、本来的に訴訟アクセスを容易にし、権利救済を実効あらしめるべき訴訟までもが、その例外とされず、相手方の弁護士費用の負担を強いられることの脅威に晒される結果となり、引いては、憲法上の裁判を受ける権利が蔑ろにされることにも繋がることが強く懸念される。


  5. まとめ


       以上のとおり、敗訴者負担制を原則とする制度への転換は国民の裁判を受ける権利の保障上、極めて深刻な問題を引き起こすのであり、当会は敗訴者負担制の導入に反対する。



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