私と趣味と


  仕事をしながら、趣味を続けること。
  とても大切なことでありながら、とても難しいものですね。
  私には、弁護士になる前から趣味でフラメンコを習っており、早いもので今年の4月で6年目になりました。どれほど私がフラメンコにはまっているかというと、修習(司法試験に合格した後、弁護士になるまでの研修期間のこと)で1年間広島に行かなければならないことが決まった時、フラメンコの舞台に立つために1年修習を延期しようかと、本気で悩んだほどです。
  結局、私はその年に修習生になりましたが、3月末に予定されていた舞台に出演するため、広島から大阪まで高速バスで通い、時間外の個人レッスンを受けて、強行出演してしまいました。決して高くない修習生の収入から、高速バス代、レッスン代を引くと、とても厳しい生活が待ち受けていたわけですが、それでも私が出演にこだわりました。
  趣味、それは人生に何を与えるものでしょうか。
  心の豊かさ、ストレス発散、閉塞的な日常生活からの解放・・・色々な見方があると思いますが、それは一言でいえば「ゆとり」であると思います。しかし、一方で仕事上の責任を全うしなければならない社会人としては、「ゆとり」だけを重視することはできません。「ゆとり」を得るために、社会人としての責任をないがしろにするようなことがあってはならない。かといって、責任に拘束され過ぎれば「ゆとり」を持つことはできないのです。
  だからこそ、社会に出た後、それまで大好きだった趣味をやめざるを得なくなってしまう人は、とても多いのだと思います。
  趣味と社会のバランス、これは、私生活と社会生活のバランスとも言いかえることができます。例えば、仕事と家庭、女性であれば仕事と出産といったものもそうです。働く人々は常に、仕事とそれ以外のものとのバランスに苦慮しながら生きているのです。
  若年で未熟な私が、偉そうなことは言えませんが、日本では仕事と私生活のバランスが、往々にして仕事に向って傾き過ぎているのではないでしょうか。日本人の真面目・勤勉な性格は愛すべきものですが、しかしそれが、自分自身の首を絞めるほどになってしまうのはどうなのだろうか、と時として思います。
  いまだに日本では、出産や育児、介護等、私生活の幅が大きくならざるをえない労働者に対しての風当たりが強いですが、それは、この「仕事以外のもの」に対する評価がとても低いことと密接に関連していると私は思います。
  趣味ももたず、家庭も犠牲にして、ひたすら仕事に生きることだけが、もてはやされるべきでしょうか。趣味も、家庭も、仕事もと欲張れば、当然どれもが中途半端になるかもしれませんが、そういう中で悩み苦しみながら努力することこそ、人生を豊かにするし、社会人としても人を成長させるのだ、というのが私の持論です。特に、弁護士という、他人の人生に深く立ち入るような職業は、この「人としての豊かさ」がとても大切だと思うのです。
  そんなわけで、私は、趣味を続けるためにとても努力するのです。時には、ようやく取れた休みの日すら、レッスンで朝から晩までつぶれて、睡眠不足が全く解消されないまま月曜日を迎えたりしますが、それでも頑張ってしまうわけです。

  以上、たいそうな書き方をしてしまいました。実のところ、もっとたくさん踊りたいなあと、日々ない時間を絞りだすのに苦労している弁護士の、ちょっとした愚痴なのでした。

水野  彰子(2010年4月12日記)


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