さかなくん


  僕は昔から魚が大好きで、小学校2年生のころには、魚図鑑を丸暗記していました。とくに、その魚が食用としてどう評価がされているのか、「美味」なのか「普通」なのか「美味しくない」のか「毒がある」のかに興味がありました。

僕は、生まれも育ちも東京のど真ん中なのですが、母の実家が沖縄県の久米島というきれいな島にあり、小学校の6年間は、毎年、夏休みの40日間を久米島で過ごしました。久米島で魚釣りをして、釣った魚を図鑑で調べて、食べるのが大好きでした。さすがに「毒がある」という魚は食べませんでしたが、「美味しくない」という魚も食べました。釣り上げられて死んでしまったのに、食べないのはかわいそうだと思ったからです。たしかに、「美味しくない」という魚は、生で食べると多少生臭かったりしましたが、煮付けにしてしまえば、普通に食べられました。

あるとき、親戚から魚が送られてきました。その中に、もともとは毒魚ではないが、毒ガニを食べると毒をもってしまう可能性がある魚がいました。僕は「この魚は、図鑑には・・・(毒ガニを食べる話)・・・と書いてあった」と父に主張しましたが、父は「そんなの大丈夫だよ」と言って笑いながら刺身にして食べてしまいました。次の日の夜、父が仕事から帰宅すると、「直太(僕の名前です)、今日はあの魚のせいでお腹をこわして、何度もトイレに行ったよ。直太は本当に魚が詳しいなあ」と褒められました。僕は「だから言ったでしょ!」と得意気になりました。ちなみに、当時飼っていた猫のニャンコにその魚をあげたところ、ニオイは嗅いだものの、結局、食べませんでした。やはり動物の勘はすごいと思いました。

あまりにも魚が好きだったため、魚屋やスーパーの鮮魚売り場に行くと興奮してしまい、お小遣いで魚を衝動買いしてしまうこともありました。また、板前に憧れていたので、小学校(3、4年生)のときの誕生日プレゼントは、出刃包丁と刺身包丁でした。父と築地の包丁専門店に買いに行ったのをよく覚えています。その後は、お小遣いで魚のさばきかたの本を買い、自分で釣った魚や買った魚を調理していました。包丁は今でも現役ですが、何度も研いだため、小さくなっています。

司法試験に合格する少し前の話ですが、仲のよい友人たちと実家近くの自由が丘で朝まで飲んだとき、始発の日比谷線でよく築地に行きました。活気がある早朝の築地魚市場を散策してから、お寿司を食べるのです(安くて美味しい)。あるとき、魚を見ながら魚市場を歩いていると、いかにも江戸っ子という感じのおじさんが僕に向かって、「最近の若者は魚のこともろくに知らないくせに、見学にきやがる」みたいなことを言い、赤くて細長い魚を持って「これ何だかわかんないだろ?」と質問しました。僕はすぐに「アカヤガラです」と答えました。そのおじさんが驚いた顔をして「ち・・・ちげーよ」と言ったので、「間違いありません。そうですよね?」と近くにいた他のおじさんに聞いてみると、「そうだよ」と言ってくれました。僕に魚の名前を当てられてしまったおじさんは、「俺は忙しいからもう行く」と言って、魚を運んで行ってしまいました。でも、なんだか嬉しそうな顔をしていました。魚に詳しい若者がいて、内心うれしかったのかもしれません。
今では魚の名前をだいぶ忘れてしまいましたが、普通の人よりは詳しいと思います。友人としりとりをしたときに、僕は「魚の名前しか言えない」という、あり得ないハンデを負いながら、奇跡的に勝ったこともあります。

  最後になりますが、僕から見ても「さかなくん」は本当にすごいと思います。気軽にくん付けでは呼べません。「さかなさん」と呼んでしまいます。

橋口  直太(2010年8月2日記)

関連情報