家族のカタチ


  家族の話になり、私が国際結婚をしていることを知ると「へ〜どこの人?」という言われることがよくあります。

  そのあとに妻と息子は海外に住んでいて、私が単身赴任していることがわかると、「かわいそうに」という人と「うらやましい」という人がいます。「かわいそうに」という人は幸せな家庭なんでしょうね。「うらやましい」という人は…いろいろご苦労があるのでしょう。

  ただ、私の考えは「かわいそう」とも「うらやましい」ともちょっと違います。たまにしか家族と会わないので一緒にいるときには家族を何より優先したいという気持ちになりますし、逆に一人のときは家族に遠慮なく仕事ができます。結果としてメリハリのある密度の濃い生活ができていると思います。また、家族が空気のような存在になってしまうことなく、常に新鮮な状態を保つことができるのかなと思っています。

  家族と会うのは年に数回ですが、いまはインターネットという素晴らしいツールがあります。メールを送れば瞬時に相手に届きますし、テレビ電話で顔を見ながら話をすることもできます。テレビ電話が無料でできるなんて本当に技術の進歩には感謝です。このようにさまざまな方法で近況を報告しているので、もしかすると一緒に暮らしているよりも意味のある夫婦の会話をしているかもしれません。なので、まわりが心配(?)するほど大変なことをしているという実感もありません。

  もっとも、子育てはあまり協力できていないのが残念です。息子は会うたびにできることが飛躍的に増えており子供の成長の速さには目を見張るばかりです。息子も2歳になりいろいろ話をするようになったのですが、自然とトリリンガルへの道を歩んでいるようです(うらやましい)。しかも、英語の歌を歌っていたと思えば、テレビ電話で私をみかけると日本語で話したり、「一休さん」を歌ったり、妻の家族とはその国の言語で話をするなど、相手によって言語を使い分けているみたいです。これも単身赴任していることの効果なのでしょう。

  こうしてみると子供を自慢するただの親バカみたいですが、このブログを書いてみて改めて思ったのは、出来事はコントロールできないけど解釈はコントロールできるということです。事実は事実として受け入れて、それをプラスの方向に捉えることで毎日が前向きで楽しくなると思います。

  あなたも家族のカタチをあらためて見つめてみませんか。

大濵  巌生(2010年12月20日記)


関連情報