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  個人的な趣味と思い出話を書きたいと思います。
  弁護士業務とは全く関係ない話ですが弁護士とはちょっとだけ関係のある話です。

  私は、大学時代にジャズ研サークル(正式には軽音部ジャズ系)に入っていました。
楽器はピアノで、主にセロニアス・モンクというジャズピアニストを突っ込んで研究していました。
  セロニアス・モンクは、しばしばへんてこなピアニストだとか変な演奏をするといった評価をされ嫌いな人も多いとは思いますが、作品を通覧してみるとオリジナル曲はとてもかっこいいユニークな曲ばかりで、特にバラッド曲はどれもこれも艶のある傑作ばかりです。
よかったら是非聞いてみてください。

  京都の中でのジャズライブなどもよく見に行っていましたが、その中でも一番最初に見たのが京都在住のジャズピアニストで市川さんという方のライブで、場所は丸太町通り沿いにある「ZACBARAN」というお店でした。
  その後も市川さんのライブをちょくちょく見に行っていましたが、市川さんのリズムの取り方にとても興味深い点があったので、レッスンを申し込んでジャズピアノを習わせてもらうことにしました

  レッスンは月に2回、日曜日に1時間ほど1対1でした。
  クラシックピアノのレッスンのようにハノンやツェルニーなどの練習曲があるわけではなく、スタンダードナンバーなどで自分が弾きたい曲を決めて、その曲でのアドリブの方法やリズムの取り方を教えてもらいました。
  特にジャズの場合、リズムがスウィング感という独特の感覚で解説書などの本を読んでいても身につくものではなく、ジャズミュージシャンの演奏を実際に聞いたり、ライブなどを見に行った時にどのようにリズムを感じているのかを演奏する時の体の動きから見て取ったりしていくので、プロのジャズミュージシャンに1時間着いてもらってあれこれしゃべりながら「スウィング感とは何ぞや?」を教えてもらえたことはとても有益で得難い体験でした。
  たまたま市川さんもセロニアス・モンクを深く研究されていたので、セロニアス・モンクの曲のコード進行や和音構成を色々と解説して教えてもらいました。

  そのうち、司法試験の勉強を始め、音楽中心の生活から法律の勉強が中心の生活になり、ピアノも段々触らないようになり、ジャズのライブに足を運ぶこともなくなり、市川さんのレッスンにも行かなくなりました。

  その後、大学に籍を置きながら司法試験に挑戦し続け、片手以上両手未満の受験回数でようやく平成17年に合格することができました。
当時の司法試験は、11月に合格発表があり、翌年の4月から修習が始まるので、修習が始まるまでの間しばらくゆっくりました。
  私も合格した後は京都でゆっくりと過ごしていたのですが、ちょうどその頃、四条河原町にあるタワーレコードに行ってCDを見ていたら、チラシ棚に市川さんのライブのフライヤーがあました。
  相変わらずの健在ぶりに懐かしく思うとともに、せっかくゆっくりできるようになったのだし久しぶりにライブを見にいこうなどと考えました。

  しかし、年明けてしばらくしたころ、長らく連絡を取っていなかったレッスン仲間の女性から久しぶりのメールがあったのですが、内容は市川さんが突然倒れて危篤だというものでした。
  京都市内の病院に入院されているとのことだったので、すぐにお見舞いにいきましたが、数年ぶりに会った市川さんはもはや意識はなく、お見舞いしてから1週間ほどで亡くなられてしまいました。

  お葬式は京都駅南にある葬儀場で執り行われ、私も一ファンとして参列しましたが、仲間のジャズミュージシャンが目を真っ赤にしながら”Take the A train”を演奏するなど音楽葬の形式がとられ、出棺の時はニューオリンズスタイルのブラスバンド(確か、ブッラクボトム・ブラスバンドだったと思います。)がアップテンポのマーチを演奏し、参列者みんなで泣きながら棺を抱え上げて上下に揺らしながら賑やかに送り出されていました。
  市川さんはいつもニコニコしていて賑やかな人だったので、最後も市川さんらしく賑やかに送りだそうということだったのだと思います。

  どこが弁護士と関係のある話なのか?ですが、その市川さんのお葬式に参列した時に、私の横にいた人が弁護士バッジをつけていました。
  まだ若い感じのひとで弁護士バッジがまだ金ぴかだったので登録してそんなに間がない先生だったのではないかと思います(ちなみに、弁護士バッジは最初金ぴかで次第にその金メッキが剥がれていって銀色になるのでバッジの色で経験年数を判断したりします。)。
  今であれば同業ということで自己紹介をして名刺交換でもしたかもしれませんが、当時私は修習にも行っていない状況でしたし、お葬式の場で面識のない方にいきなり話しかけるのも憚られたのでお声を掛けるということはしませんでした。
  多分京都の先生だろうと思い、当時すでに修習地が京都に決まっていたので、修習中にお見かけした時に挨拶をすればよいかと思ったのもありました。

  その後、京都での修習を経て京都で弁護士登録をしましたが、未だにその時の先生にはお目にかかれていませんので、どうやら京都の先生ではなかったようです。

  その先生のお顔は概ね覚えているので、今後お目にかかれた時はおもいきって声を掛けてみようと思います。

  意外とお目に掛かるのが法廷だった、…なんてことが十分ありえますね(笑)

古田  圭(2011年1月31日記)


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