動物のこと


  この原稿は明日締め切りだったなあと思って寝ようと思ったらヒグマの姿が目に浮かんできたので起きだして動物のことを書くことにした。

  私はとても動物好きだった。小さい頃は飽きずに動物図鑑ばかり見ていた。そのうち創作意欲に突き動かされ、自分で絵を書いてその下に説明を付けて図鑑を作ったりした。落ち武者のようなライオンを描き、「らいおんわとてもきょうぼうです。ちかよるだけでやられます」と書いた。5、6歳だったと思うが、のちに、どうして何もしなくてもやられるなんて決めつけたんだろう?なんかライオンに悪いことしたなと罪の意識を持ったのを覚えている。ところが数年前だったか、ライオンは食料として必要な狩りしかしないという定説?はどうやら間違っていて、意外と気まぐれに草食動物を殺めることがあると、何かで解説されているのを見たのだ。おー、すごいじゃないか、そうだろそうだろ。王様なんだから気まぐれに決まってるではないか、あの頃の私は正しかったのだ。その日はとてもうれしかった。

  話は変わって、私のパソコンの壁紙はSnow Leopard(雪豹)の写真だ。動物園のでなく天然だ(鯛じゃないので野生というべきだ)。本当に天然ものを撮影したのか?というほど近くで綺麗に撮れている写真で、ときどき見惚れている。昔読んだ星野道夫さんの本に、日常生活のなかで、ふとこの瞬間もアラスカではヒグマ達の変わらぬ営みがあるんだということを思うだけで幸せなんだというような趣旨の一文があったのだが、この気持すごくよくわかる。もちろん私は天然の雪豹を見たわけではないが、壁紙の雪豹は実際にそこにいたのだし、今この瞬間も、射るような目で、荒涼とした風景を一人闊歩しているんだろうと思うと、不覚にもニヤついてしまったりするのだ。うっかり見られないようにしなければ・・・。

  私にはついつい思い浮かべるこんな動物絡みの光景がたくさんある。さっき思い浮かんだヒグマは、まさに星野さんの一文と写真集で脳に刷り込まれたのだ。つられてツキノワグマもよく出てくる。本州に住んでいるんだからこちらも落とせないのだ。他には、小さい頃やたらと読んだ椋鳩十の小説に出てきたニホンカモシカの姿もある。これまた天然のそれを見たわけもないのだが、確か日本アルプスの切り立った谷の岩場で、天敵に追い詰められたニホンカモシカが信じられないようなスーパーパフォーマンスを発揮して去っていく場面(だったと思う)。その頃はとにかく、カモシカスゴイカモシカスゴイという強烈な印象を受けた。加えてニホンカモシカは特別天然記念物らしいと知り、天然記念物に特別まで付いているのだから、やはりただ者でないと確信していた。だからたびたび空想してしまうようになった。それから、シートンの狼王ロボのせいで、狼にも特別の尊敬を抱いていた。これは読んだのでなく、繰り返し読んでもらったお話しだったから相当に小さい頃だったと思われ、ロボの誇り高い死に様に感動したとかいうより、とにかく死んでほしくなかったのに最後まで何も口にせず死んでいったロボに悔しさが残ったんだろう。ニホンオオカミはとっくに絶滅しているので本当に残念だ。「奥山に分け入れば狼に出会うかもしれない」というのは素晴らしい空想なのだ。ペンギンが海中からロケットみたいに飛び出して氷のうえに着地してお腹でスーッと滑っていくシーンも最高に好きだ。相当な深さから浮力もうまく利用し、ちょっと想像つかないようなスピードと発射後の高さを得ている。今この瞬間も発射しているかもしれない。ちなみに私は生まれ変わったらペンギンになりたいと思っているのだ。是非あれをやってみたい。

  キリがないので最後に今我が家にいる文鳥の話しを。名前はブンちゃんだ。命名に工夫がなさ過ぎた。平成19年5月愛知県生まれだ。手乗り文鳥なのだが色々怠ったのでブンちゃんは手乗りであることを忘れて生きている。私を含め家族は皆、ブンちゃんは男の子だと思って育てていたら、ある日突然卵を産んだ。妻が、うわーとか、ぎゃーとか言うので急死したのかと思い「ブンちゃん大丈夫かー」と駆け寄ってみると綺麗な卵があったのだ。私はときどき「ブン夫」とか「ブン蔵」と呼びかけ、男としての作法を説いたりしていたのに・・・。恥ずかしいじゃないか。以来、もっぱら妻が、同姓のちょっと厳しめの目線で所作を教育しているが、一向に効果なく、いつまで経っても水浴び用の水入れには見向きもせず、飲水のほうで豪快に水浴びをするのであった。ブンちゃん、そんなんじゃあ人前に出せないぞ。いや、まてよ、処女懐胎だからやはり特別に尊いのだ。
  失礼致しました。

宮川  孝広(2012年1月5日記)


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