言いまちがい


  弁護士は、人前で話す機会の多い職業と言えるでしょう。私は、弁護士になってまだ1ヶ月半ですが、この短期間ですら、何度も人前で話をさせていただきました。
私は、人前では緊張しません・・・いや、正確に言うと、「緊張しない」と思い込んでいます。いわゆる自己暗示というやつです。
しかし、その効果はいまひとつで、人前では、呂律が回らなかったり、言いまちがえたりしてしまいます。実際はかなり緊張していて、弁護士になってからも、お客様のお名前を言いまちがえるなど、失礼なことをしてしまいました。
そんな私には、忘れられない言いまちいが体験があります。

あれは、中学2年の中間試験。試験科目は数学でした。
我が中学の試験は、実際にカンニングをしていなくても、同行為とみなされれればその時点で全科目即失格、という大変厳しいものでした。厳格な監視体制のもと、咳払いすら許されない様な緊張感が教室を包み込みます。勉強のできなかった私にとっては、本当に嫌いな時間でした。中でも数学は、いつも時間が足りなくなる苦手科目でした。
その日の数学の試験も、出来は芳しくなく、筆はなかなか進んでくれませんでした。一方、時計の針は容赦なく進んでいき、気持ちは焦るばかりです。
そんな試験の終盤、私は、配点の高い問題で、大きなミスを犯したことに気づいてしまいました。
やり直すか、残っている問題に取り掛かるか。私は、重大な選択を迫られました。
悩んだ挙句、私は、やり直すことを選択しました。
まずは、誤った計算式を消さなければなりません。私は、消しゴムに手を伸ばしました。しかし、手に取ろうとしたその瞬間、消しゴムは逃げるように私の手から転げ落ちていきました。奴は、私の机から少し離れた所で、ケラケラと笑っているようでした。「こんな忙しいときに限って何てことをしてくれるんだ」と、腹を立てたことを覚えています。
私は、手繰り寄せるならぬ『足繰り寄せ』て、すぐにでもそれを拾いあげたいところでしたが、そこは試験官の先生の厳しい視線があります。先生の許可を取らずに変な動作をして、カンニングとみなされては一巻の終わりです。
私は、仕方なく、先生の許可を取ることにしました。
長い前置きになってしまいましたが、そのとき先生にかけた一言が、これです。

「先生、消しゴム拾ったので、落ちてもいいですか」

  私の言葉は、緊張した空気を切り裂くように、静寂な教室に鳴り響きました。
しかし、先生は、「許可する」と答えるのみ。
周りの生徒が気にする様子もありません。
私は、自分の言いまちがいのくだらなさから、必死で笑いをこらえました。と同時に、誰一人として気づかないことが、不思議で仕方ありませんでした。
そんな一連の出来事のおかげで集中力を切らしてしまった私は、やり直そうとした問題をうまく修正できず、新たな問題もほぼ手つかずの状態で、タイムアップのチャイムを聞くことになりました。

今振り返っても、おかしな言いまちがいです。
しかし、試験中という特別な時間であったことを差し引いても、誰一人として気付かなかったことを考えれば、周りの人は、そういったミスを意外に気にしていないのかもしれませんね。
この出来事は、「誰も気にしていないし緊張することはないんだ」と、人前で話す際、私が自己暗示をかけられる一つの根拠になっています。
今後も引き続き暗示をかけて、いずれは、人前でも堂々と話せるようになりたいと思っています。

ちなみに、その数学の試験結果は、先生に落ちることを許可されたものの、落ちることなく(赤点を取ることなく)、なんとかパスできましたことを、一応ご報告しておきます。

さて。
言いまちがいと、書きまちがいとでは質が違いますが、実はこの文章中にもまちがいが3か所あります。お気きづきになられましたか?
あまり気にならなかったでしょう?
うんうん。周りは気にせず、堂々といこう(自己暗示)。

石垣  元庸(2012年2月29日記)


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