ギャップ


見た目で損をする。
それには、もうとっくに慣れてしまった。

悲劇の歴史を紐解けば、時は中学生時分まで遡る。
私は、片思いの女子を見つめていた。
見つめていたのに、にらんでいると勘違いされる日々だった。
スポーツ刈りの真面目な少年。
ただ、人より幾ばくか目が細かった。
そのために、見ず知らずの不良によく因縁をつけられたものである。

高校に進む頃には、どういうわけか頻繁に職務質問を受けるようになった。
すれ違ったパトカーが、狭い道で何度も何度も切り返しを行い、Uターンしてくることもあった。
身内の祖母でさえ、入院時に見舞いに行けば、開口一番「昔は可愛かったのによぉ…」と嘆き、おぅおぅとすすり泣くのであった。

法科大学院でも、一度答えに窮するだけで、多くの教授から、いとも簡単に、予習をしない不真面目な学生との烙印を押され、司法修習においても、同期や指導担当の先生方から、「第一印象は悪かった」、「顔が怖い」、「何か怒っているのか」等と言われてしまうことが日常茶飯事であった。

挙げ出せば切りがないのである。
しかし、私は、実際には、第一印象ほど悪い人間ではない(はずである)。

たとえば、親の指令で、「はじめての銭湯」に一人で挑戦したときのこと・・・
私は、初めて行った銭湯の前で、少しばかり緊張していた。
のれんをくぐると、そこには茶色い下駄箱が並んでいた。
あろうことか、少年は、その下駄箱をロッカーと誤解してしまった。
つまり、のれん越しに外路チラつく玄関で、素っ裸になってしまったのである。
少年は、あまりにも小さなスペースに疑問を感じつつも、脱いだ服を押し込み、下駄箱の鍵と銭湯代の小銭を小さな手に握りしめて、意気揚々と男湯の扉をあけた。
番台のおばさんは、当然、目を丸くして大笑いをしていた。
その驚きの表情は、今でもはっきりと覚えている。

私にも、お茶目な一面があるのである。
笑われてすぐ、自らの過ちに気付いたが、子供ながらに精一杯見栄を張り、堂々と本来のロッカーに下駄箱の鍵のみを入れて風呂に向かった。
こういった愛嬌は、今でも私の根っこに息づいている。

人前に立つと顔が強張りがちであるが、緊張しながらも内心では、聴衆の笑いを誘いたいと切望している。
怒っているように見えても、実際には「吹き出しから♪」のテンションであることが多い。
気難しい人間にも見られるが、エレベーターで「何階ですか」と問われるだけで、瞬く間にその人を好きになってしまうような単純な人間である。
自分から話しかけるのが得意というわけではないが、出先で知らない人と話すのが好きで、美容院に行くと、持ってこられた雑誌を断って、「トークで」と注文してしまう面倒な客になってしまうのである。

結局、私は、人とかかわるのが好きなのであろう。
小中高を通じて野球をしていたためか、仲間意識も強い。
周囲の人たちを想い、考え、行動する人生を歩んできたようにも思う。
少なくともこういった点では、ある意味弁護士という職業に向いている気がしている。

さて、ここまで、京都弁護士会に今年新規登録する弁護士の中で第一号の投稿ということにあやかり、自分のことをつらつらと述べさせてもらった。
近い将来お会いする皆様に、「意外と見た目とは違う一面もあるという人だ」等と思ってもらえれば幸いである。
当面の課題は、事務所のホームページに掲載される顔写真を撮る際に、いかにして優しげな笑顔を引き出すかということである。
乞うご期待といったところであろうか。

兒玉  貴裕(2014年1月9日記)


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