みうらじゅんといとうせいこうと私


  見仏が好きである。
「見物」ではなく「見仏」である。見仏とは、仏像を見学することである。堅苦しいことはいわない。自由に見学するのである。
  私は中学生の頃に見仏に目覚めた。週末には寺院に行って仏像を眺めた。悟りを開いた如来よりも、如来を目指して修行中の菩薩が好きである。人間臭い部分を残していて、親近感があるのだ。全身着飾っていたり、今にも動きそうであったり。会いに行けるアイドル、といったところであろうか。

  「見仏」という言葉を流行らせたのは(流行っていない、という突っ込みはとりあえず放っておく)みうらじゅん氏といとうせいこう氏である。色々な寺院に仏像を観に行って、みうらじゅん氏のボケにいとうせいこう氏が突っ込む、という斬新なスタイルの旅行記を出したのだ。その名も「見仏記」。タイトルからして読みたくなってしまうではないか。中身はというと、寺院はコンサート会場で、仏像はミュージシャン、ポストカードなどはコンサートグッズに例えるのである。もう、目から鱗である。
  「見仏記」の出版から数年後、旅行記をそのまま映像にしてしまおうという「テレビ見仏記」が始まった。第1回目のタイトルは「嵯峨野の仏」……だったと思う。二尊院のご本尊である阿弥陀如来と釈迦如来(みうらじゅん氏はザ・ピーナッツと言っていたっけ)を見仏した後、清涼寺へ。清涼寺では清涼寺式釈迦如来を見仏した後、釈迦如来の中に入っていた五臓六腑を見て、山越え阿弥陀を見仏。
  ……と、少し走り過ぎたようだ。仏像に興味がない読者はここまで読んでいないだろう。私も少し反省している。

  私は今弁護士という、静寂というイメージの仏像とは対局の仕事をしている。弁護士は、現実に活動している人を相手にする。バランスを取るためには現実と離れた空間に身を置くことが必要なのである。弁護士という仕事で此岸に身を置き、見仏によって彼岸の景色を楽しむのである。でも私が好きな菩薩は動いている。やはり人間が好きということであろうか。
  私は、弁護士という仕事も見仏も両方好きである。今はなかなか見仏に行く時間がないが、時間を見つけて見仏に行きたい。
  ちなみに、私が好きなおすすめ仏像ベスト3は、金戒光明寺の文殊菩薩像、奈良中宮寺の(弥勒)菩薩像、滋賀長浜にある渡岸寺の十一面観音菩薩像である。

松崎  和彦(2014年3月7日記)


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